喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?

第四話 チャップリン初体験

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リバイバル公開時のチラシ!
ロードショー館は有楽町のニュー東宝シネマ2という劇場だったけど、
僕がチャップリンを知った時は既にロングラン公開に切り替わって、
隣りのシネマ1と渋谷文化という劇場になっていた。証拠のチラシ!?


 先述(第二話)のとおり、僕がガキの頃は「無声映画なんて太古のお荷物」みたいに世間一般が考えている高度成長期なので、そんな風潮に逆らっての『ビバ!チャップリン』シリーズ発表、そして異例の大ヒットとは、映画界の奇跡、または超常現象だった。

 

 シリーズ第一弾となる『モダン・タイムス』を、僕は赤ん坊の頃の記憶に潜む『テケテケおじさん』と勘違いしながら、どうしても見たくて両親にせがんだ。浅学菲才で無知蒙昧の動物標本みたいな父親の返答は、「白黒映画だからつまんないよ」だった・・・。白黒だろうが赤青だろうが見たいものは見たいとジタバタ騒いだので、白痴的な教条主義を搭載した核ミサイルのごとき母親は、渋々と新聞の映画欄を探し始める。この時点でロードショーはとっくに上映終了、既に二番館の渋谷文化という劇場に降りてきていた。渋谷文化なんて映画館を覚えている人がいるかどうか・・・現在は道玄坂の渋東シネタワーがある場所にて、地下で営業していた小さな名画座だ。柱が邪魔でスクリーンが見えない席もあったけど、激安料金で洋画二本立てなんかをやっていたんだ。

 

 渋谷へ連れて行ってくれた母親は、小さな名画座の白黒上映なんて誰も見やしないとナメてかかっていたもんだから、まずチケット売り場の大混雑に腰を抜かしていた。チケットは現在のシネコンのように上映開始時間や座席指定で申し込む訳ではなく、並んでいなけりゃ買えないし入場できない当時の映画館事情である。ガキの僕と母親と、あっさり次の回までの長い時間を長い行列の後ろで待つ事になった(当然ながら、母親はキレ始める)。並んでいても、立ち見となるのは必至の人だかりであったから、ヒステリーの母親は周囲の目なんか関係なく爆裂しまくっていた。

 

 僕がその列に並ぶまでの予備知識(?)では、『モダン・タイムス』という作品は、ベルトコンベアのボルトを捻るギャグの他、崖っぷちで家が傾く(黄金狂時代)、靴を食べる(黄金狂時代)、××印の軍服を着ている(独裁者)が寸劇のように次々と繰り出される、『ゲバゲバ90分!』のような映画との事。これは「オレ、もう見たぜ!」というホラ吹き同級生のウケウリだった。

 赤ん坊の頃の想い出の『テケテケおじさん』も寸劇なので(断片的な記憶だから寸劇になる・・・)、とにかく長い待ち時間は妄想を膨らませるのに充分、コント55号より面白い場面がドッサリ見られものとワクワクしていた。

 ついでながら、当時の僕はテレビで見たジェリー・ルイスの寄り目で奇声を発する仕種を一番面白く感じていたので、この髭のオジサンはどんな顔で何をやらかすか・・・これだけ多くのお客さんが行列をなしているのだから、きっと凄い奇声を発して暴れまくるだろうと、見当違いを増幅させていたのだ。

 

 こんな調子でいよいよチャップリンと初対面、ぎゅうぎゅうの場内では超チビの僕に親切なお姉さんが席を譲ってくれたので、ゆったり座って開演を待っていた(母親は混雑に紛れて見当たらない)。まるで角砂糖に蟻が群がるみたいな状態で、スクリーンを人が取り囲んでいた。スゴイ熱気だ!

 

 初見のチャップリンは、馬鹿ガキのオツムでは理解不能の情緒が満載のため、ヘンな期待を持って臨んだ分は肩透かしを喰らったカンジであった。但し、喋らない(欽ちゃんやジェリー・ルイスみたいに奇声を発しない)だけは強烈なインパクトとなって、「こんな映画があるんだ!」と感心した。

 まだ、無声映画というカテゴリーの存在を知らなかった事もあり、とにかく「なぜかチャップリンは喋らない人」という表現(?)だけが克明に馬鹿なアタマへ入力された。なので、社長が工場内をテレビで監視しながら命令する場面やラストの歌など、効果的な「声」の使用法は、いずれ再見するまで記憶から排除されてしまった(この時の僕の脳ミソは、データ容量が足りないからだけど)。

 因みに、この『モダン・タイムス』の真価は、喜劇映画研究会に関わって二十歳を過ぎてから、自分でフィルムを所有して初めて理解できた(ビデオ・ソフトなんて売っていないうえ、テレビ放映など考えられない時代だったので、無理してフィルムを購入しなければ、ジックリ鑑賞は不可能だった)。

 

 馬鹿ガキの初鑑賞に話を戻すと、同級生から聞いていたガセ情報や自分の思い込みがまるっきり本編には存在しないとわかった時点で裏切られた感も多少あった。しかし、大人の真似をして何とかストーリーの理解に努めているうち、ラスト・シーンでウルウルしている自分を発見した。そして次回公開『街の灯』という予告篇で、チャップリンの映画をもっと見たい、喋らない髭のオジサンをもっと知りたいとも感じていた。

 それが、後年にケラリーノ・サンドロヴィッチ氏との交流、長い長い喜劇映画研究会との付き合いに発展するとは・・・