喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
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第十三話 ふたつの研究会

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1978年5月1日刊行・喜劇研究会の機関誌「喜劇界」。
高校生になったばかりの小林君(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が論考を寄せていた! 
【提供:原健太郎様】


 ハナ肇が顧問の喜劇研究会、恐るべきフィルム・コレクション、高価な映像機器、そして謎の資金力、行動力、洞察力、芳醇な語彙力と小林君にはブッたまげっぱなしだったけど、そのトリを飾るのが「喜劇映画研究会」なる自主上映の話だ。

 

 そもそもハナ肇の喜劇研究会という、中坊が社会人や大学生と一緒にサークル活動しているって話も、和太鼓とか陶芸教室みたいな実技講習ならまだわかるけど、「笑い」を追究する目的のアカデミックな会合なんて、僕にはまるで理解不能な超常現象でしかない!エクトプラズムの舞う交霊術くらいコワイ!とてもじゃないが、近寄れない!

 それがどうだ。思春期の小僧が背伸びしたりイキガッたり、知ったかぶりの屁理屈をデッチ上げて年長者に可愛がられている訳ではなく、小林君は到って自然体で喜劇研究会に参加している! 同級生でブルース・リーとか『宇宙戦艦ヤマト』の感想文が雑誌の投稿欄に掲載された奴もいたけど、小林君はそんな低レベルの作文で大人と自慢比べしている訳じゃなく、年齢差に関係なく真摯に同好の志と交流を深め、喜劇の質量を計測しているのだ・・・

 ここまでのキャリアだけで僕は充分に仰天しているところ、喜劇映画研究会という上映会を「主宰している」と宣うもんだから、もう空が落ちてきたくらいビビッてしまった。

 「それで『巴里の女性』を上映した時は、会場の外の歩道まで人が並んで大変だったんですよ」なんて飄々と語るじゃないか!何なんだコイツは!イイカゲンにしろ!

 

 そもそもチャップリンの『巴里の女性』とは、今ならDVDやブルーレイ、またはYouTubeなんかで簡単に視聴できるけど、1978年頃は「超」がつく幻の名画、日本では絶対に再見不可能な古典とされていた。東和(現・東宝東和)の『ビバ!チャップリン』シリーズでもラインナップにはなく、全国でチャップリン・フィーバーがひと段落した後でも、根強いファンの間ではリバイバル公開を望む声が最も高い作品だったのだ。それを1977年に中学生が自主上映!? 戦後初公開!ふざけんじゃない!会場が大混乱になって当然だろ!どうしてそれが実現できるんだ!

 

 早速、僕は小林君から『巴里の女性』のフィルムを借りるのだけど、その際にまたもアッサリ「音楽がサイコーなんですヨ」と教えてくれた!?

 当時の僕は相変わらず馬鹿ガキ(ナリだけ大きくなった)なので、チャップリンの「製作・監督・脚本・編集・作曲・主演」という肩書きは、「昔の映画はスタッフがいないので、全部独りでやるしかなかった」くらい無知蒙昧な垂直落下思考で解釈していた。そこへ音楽に対する意見まで述べる小林君の造詣の深さとは、とても同世代の青少年の業じゃない!怪物だ!

 

 ここでちょっと話が飛ぶけど、喜劇研究会最年少トリオが中2の時(1976年)に文化祭でチャップリン短編を自主上映したのが、「喜劇映画研究会」の始まりだったという。

 生徒会を通じて、学校側に教室を借りる口実で何かしらの名称を必要とした事から、彼らが学外で所属する「喜劇研究会」より名前を拝借して「喜劇映画研究会」と命名したそうな。その上映会の反応が良く、「映画興行」に目覚めて、恵比寿にあったスペース50という小さなレンタルホール(当初はエルモ社のショールームを兼ねていたらしい)で正式に喜劇映画研究会第1回上映会『巴里の女性』を開催したところ、映画ファンがドっと押し寄せて「事件」に発展、一躍マニアの間でチョッピリ名の知られる存在となったらしい。

 インターネットなんかない時代なのに、情報誌『ぴあ』の自主上映欄(そんなページが昔あった)に告知を載せたら大混乱になった訳で、やがて熱心な常連さんからの支持を得るに到った。当時のお客さんの中には、のちに『浦安鉄筋家族』で大ヒットを放つ浜岡賢次さん、国立美術館 国立映画アーカイブの事業室長・冨田美香教授が・・・その頃はまだみんな高校生か大学生だった筈なので、まさか「歳の近いガキが運営している」とは気づかずにご来場されていた。

 こんな昔話だけど、僕も含めて小林君らの「中学校の文化祭からスタートした」という言葉に惑わされて、肝心の活動開始年月日は永い間ずっと忘れられていた。のちにケラリーノ・サンドロヴィッチへと変身した小林君も「もうわからないや」と諦めていたし、喜劇研究会最年少メンバーのひとりで彼と同級生だった多田君や当時の卒業生諸氏に尋ねても、文化祭の正確な日付はわからない・・・そこで喜劇映画研究会活動40周年を迎えた2016年に、僕は相手にされない事も覚悟で、小林君らの卒業校へ突撃電話をしてみた。

 応対して下さったのは、渡辺副校長先生(漢字が間違っていたら申し訳ない!)で、「40年も前だと教員はみんな変わっているのでわからない」「校内に保管されている資料もここ十年くらい前からなので、調べようがない」とおっしゃった(そりゃそうだ!)。

 ところが、ところが、この僕の電話から数日間、渡辺副校長先生は超ご多忙にも拘わらず、区役所や教育委員会の保管資料を丁寧に調べられて・・・

 「わかりました!1976年は11月6日の土曜日です!」

 「例年、文化祭は9月か10月の第一週で土・日開催なのですが、この年だけ理由はわかりませんけど、11月6日の一日だけの開催です」とお教え下さいました!ご面倒をかけて申し訳ない!喜劇映画研究会は色々な人からずっと温かく見守られているんだなぁと痛感した瞬間・・・感激がこみ上げてきた。

 

 この中学の文化祭に始まって恵比寿での『巴里の女性』上映を開催して以降、喜劇映画研究会は半ば義務感のようなカンジで『キートンのカメラマン』『結婚狂』『マルクス兄弟ココナッツ』など、その当時の文献では「フィルムが現存しない」「幻の映画」と喧伝されていた作品を探し出し、不定期ながらも上映会を行なう。

 キレイ事だけ並べれば、今日までこんな活動状況なんだけど、実際は煩雑で生臭い理由も絡んで、簡単には上映会が開けない。フィルムの管理だけでも、もう個人の生活レベルに趣味がちょこっと馴染んでいる状況じゃなくなっているのだ。

 よく、大盛況の上映会にたまたま訪れた友人から「随分と儲かってるねぇ」「いよ!太っ腹!」と声を掛けられるけど、会場費や機材の運搬費、活弁や伴奏の人にギャラを払ったり食事を出したりすると、ただ赤字の持ち出しだけで、何も得はない。太っ腹は僕が中年太りしているからで、余計なお世話だ!おまけにスタッフは手弁当のボランティアなんだから肥える筈がない・・・そんなこんなで、勘違いして喜劇映画研究会の真似っこ上映会を開いて大損こいた奴とか、版権所有者を名乗る者に脅された奴の噂なんか耳にすると、ついザマミロといいたくなる!?

 

 こんな個人的な感情は別の機会に吐露するとして(誰も聞きたくはないだろうけど)、1978年8月16日水曜の夕方、僕は小林君の主宰する喜劇映画研究会にとりあえず興味本位で入場してみようと、恵比寿のスペース50に向かった。確か、入場料は500円だった。

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左より、喜劇研究会最後のメンバーのター、最年少メンバーの小林一三、多田浩章