喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
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第二十話 『豚の世界』事件

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『豚の世界』がイメージフォーラム初登場の際のパンフレット。

 

 小林君がまだ『有頂天』どころか『伝染病』のケラでもなく、駆け出しのアマチュア・バンド『ジ・アイヌ』を佐々木貴君らと結成したばかりの頃、一足先にニッポはレコード会社か芸能プロダクションと契約していた。 

 それでニッポは、五歳くらい年上のセミプロ(当時)のシンガーソングライター・水越誠一郎氏と『夢法師』という名のフォーク・デュオを組んでメジャー・デビューを控え、猛稽古に励んでいた。

 

 ニッポは既にそんな状況だったけど、僕の自主製作映画ではジェット・アラノ(僕)とライトフット・ニッポなる凸凹コンビを組んでくれていた。それで「この先、音楽の道でどんな展開になるかはわかりませんけど、とにかく先輩の映画に賭ける情熱を全面的にバックアップしますンで、このコンビは永遠と考えて下さい」と言ってくれたのだ。ついでに「ライトフットって、日本語で足軽の事じゃないですか?」とも。

 因みに「先輩」とは、小林君らが僕を呼ぶ際のアダ名みたいなモンで、ニッポにも伝染していたんだ(その流れを汲んでなのか、『筋肉少女帯』のマネージャー杉山元氏も僕を「先輩」と呼んでいる!?)。

 

 前項(第十九話)の内容と一部重複するけど、ニッポとのコンビ作(第一作)を当時所属していた『企画者集団ホヘト』で自主上映したところ、そこそこ好評だったので、僕は《『下賤民族』という喜劇ではない映画を作ろうとする》熱病が発症し、喜劇指向である筈のニッポを準主役(冷徹な刑事役)に抜擢して撮影を再開・・・したけど、やはり思春期のガキ共が集まって行動するには構想がデカ過ぎるうえ、知識や教養がまるっきり足りないから、1980年の9月上旬を以ってこの計画は完全に破綻した。

 製作費を夜中のガラ悪い仕事場で稼いでいた事もあって、僕は心身共に消耗し、ほとんどノイローゼ気味となってしまった。それでグダグダ鬱積していたところ、大量に買い込んだフィルムの消費期限を思い出し、慌てて多田君の家にカメラとフィルムを持って押しかけ「とにかく何か撮ろうゼ」とテキトーな脅しをかけた。すると、多田君は(当時、彼が怨敵と看做していた)高校映画連盟の傀儡会長を呼び出し「コイツにヤキを入れませんか?」「その現場を見せしめで撮影しませんか?」とサイテーな提案してきたのだ。ムシャクシャしていた僕は、このサイテー案にノリノリとなった。

 こうして即席で完成した作品を『豚の世界』と命名して、とにかく《低劣なドキュメンタリー》《笑えないコメディ》《どこまでが真実かわからない》をウリに、飽くまでシャレのつもりで、同年の11月に自主上映団体『パーセント』の第二回上映会で公開してみた。

 この時の僕は、『下賤民族』を断念した事が原因でヤケクソになっていたので、とにかく『豚の世界』で他人から罵倒されて煙たがられようと厭世的になっていた。したがって、喜劇を追い求める気概なんか完全に消えていたんだ。もう、マック・セネット対ハル・ローチなんて生涯の研究テーマは欠片も頭の中にはなかった。なので、上映会では客席から怒号や蔑みの言葉が聞こえてくるのを当然のごとく期待して、自嘲気味に構えていた。

 

 ところが!映写室で待機していると場内からは爆笑が聞こえ、上映が終わった瞬間にまずイメージフォーラムから貸し出しオファーが入ったのだ!(改めて調べたら、初上映から約1年の間にイメージフォーラムでは計三回もの特別プログラムが組まれていた!)

 それも何と恐れ多い話で・・・ある特別上映の日には、日本が誇る実験映画の最高峰・かわなかのぶひろ氏が『豚の世界』をケネス・アンガーや寺山修司作品との比較で称賛してくれた・・・これにはビックリ仰天したけど、苦労して作った映画ではないので、心の中は超複雑だった。

 

 その後にサブカル系の雑誌で評論記事が掲載され、関西圏の高校・大学・専門学校の自主製作映画連合が主催する上映会からは特別招待枠となり、揚げ句にどこでどう噂が広まったのかTBSの報道部より「夕方のニュースで放送したい」と貸し出し要請までが寄せられた!

 この当時はちょうど陰湿なイジメが話題になり始めた頃で、ニュース番組の特集コーナーで問題提起される事が多かった背景もあるのだろう。でも、流石にこのTV放送だけは、いくら馬鹿ガキの僕でも、売名行為以前にイジメを恣意的に撮影している罪悪感もあったので辞退した。1980年では《覆面作者がスマホで動画投稿した軽佻浮薄な行為がたまたま炎上》なんて事態じゃ済まなくて、ゴールデンタイムでTV放映された場合の影響力は《必ず社会問題となって世間で叩かれる》が想定されたからだ。ましてや、ニュース番組の1コーナーだと《作品》として全編が放送される訳じゃなく、カゲキな部分だけがディレクターの趣味で抜粋されてオンエアとなるだろうから、教条的に過剰反応するクレーマー視聴者なんかを相手にしたくはないもんね。

 

 僕は自分で予想していたショボイ結末と、現状の展開と、スゲー乖離が生じている事に疑問を感じていた。同時に、何でこの作品が騒がれているのか(高評価なのか)が、まるっきり理解できなかった。

 この経緯を現在の喜劇映画研究会メンバー・石野たき子嬢が聞いて、半ば呆れながら「イギリスの詩人バイロンの『寝て起きたら有名になっていた(I awoke one morning and found myself famous)』みたい」と言っていたけど、僕はそこまで高尚ではない。どうせなら、寝て起きたら金持ちになっていたい。

 

 『豚の世界』という作品は、まず、幼児二人が認知症らしき老人を蹴ったり、空き缶をぶつけたりの(偶然に捉えた)光景が、ピンボケのロング・ショットで始まる(のちにわかった話では、この幼児に虐待されている老人は斎藤寅次郎監督作品のキャメラマンだったそうな!)。

 昼間のビルの屋上では、高校生によるリンチが淡々と行われている。往来を行き交う人々から隔離されている環境だとわかるようなカメラ・アングルで、《屋上》という閉鎖空間が強調されるのだ。

 ヤる側もヤラレる側も冗談なのか?マジなのか?殴られながらラインダンスを踊ったり、被害者が水責めに遭ってから笑い出したり???画面には当人たちの声がなく、軽妙なデキシーが無責任なBGMとして流れているだけ。

 そして夕方からは照明が持ち込まれ、一段と凶悪なメンバー(老舗プロレス団体からスカウトされたケンカ無敗の巨漢、空手の全日本チャンピオンら)が集結、やがて壮絶な狂宴となる。最後に負傷した被害者を加害者が「闘いの後に友情が芽生えた」と抱擁、照明の電球がアップになって映画はイキナリ終わる。

 

 こんな低劣、悪辣、変態チックな作品をなぜ撮ったのか?今も自問自答しているけど、結論が出せない。行為としては最も下劣でサイテーな罪だと自覚はしている。けど、それが望外に称賛された結果、善悪の基準をどこに据えるかのか、判断不能に陥ってしまった。

 この作品は、インターネットのない時代、ふたむかし以上前の自主上映ながらもクチコミだけで千人以上の人がご覧になって(中には泣いて怒り出したり、気分を害して途中退席された方もいらっしゃったけど)、ほとんどの上映会場が僕の理解できない《大爆笑》となったのだ。だから、僕の喜劇研究の一部と見る方々は《アラノ特有のブラック・ジョーク》《フェイク・ドキュメンタリー》と思っているらしい。それが余計に僕の良心を鈍らせているのは確かだ。記録された事象が評価を受けているのか、内容に善悪を迫られているのか、正直に言えば、この作品に於いて僕は今も混乱したままなのだ。

 

 実は1980年当時、あるインタビューで「これはヤラセですか?」と訊かれた際、「僕がヤレと命令したらヤる奴らなので、ヤラセるです」と答えた。すると、『豚の世界』に登場する凶悪メンバーが僕の武装親衛隊だと恐れられてしまった。

 作品とは関係ないけど、あの頃は僕自身もライト級のキックボクサーみたいな体型で、陸上自衛隊の習志野第一空挺団からスカウトが来た事を自慢にしていた。そんな奴が『豚の世界』軍団を束ねていたので、相当にキケンな人と見られ、夜中の下品なアルバイト先に集まる酔客(暴力団員やフーゾク嬢のヒモ)が僕を「お兄ちゃん」と呼んでアイドル扱いしてくれていた。それで夜勤明けに仮眠して昼くらいから外へ出ると、開店準備中の暴力専門ぼったくりバーなんかが「お兄ちゃん、徹夜で疲れてるんだからココでちょっと休んできなよ」って、コーヒーやビールやサンドウィッチをご馳走してくれたんだ。こりゃまるで、時代劇に登場するヤクザ一家の用心棒センセイだ(おそらく、この頃の暗い影が僕のどこかにまだ残っていて、今も繁華街で警官からボディ・チャックを受けたり、暴力団員に誰かと間違われて挨拶されたり等、訳のわからん出来事につながるんだろうなぁ…)。

 こんな荒んだ生活を経験していると、偶然の産物『豚の世界』は必然的に生まれたのではと思えてくる。それをアタマで否定しても胸の奥底のどこかには反撥するものが滞留しているようで、現在まで自分がこの作品を容認できない理由ともなっている。

 

 心の整理がつかないうちに『豚の世界』は独り歩きをしていた。僕が『下賤民族』の挫折によって喜劇研究まで全ての映画に関連する作業から逃避して、自己否定の結果でテキトーに完成させた『豚の世界』なのに、PFF(ぴあフィルムフェスティバル)に是非出品すべきとの話が届いたのだ。単純に出品ならば誰でも出来るけど、この要請は審査員側からだったので、僕はスゴく悩んだ。

 曰く、「この作品は存在自体が一種の事件であり、もっと多くの人に知って貰わなければならない」「我々はそれを伝えるべき立場にある」との事。

 これは1981年度のPFFの話で、当時はまだ現在のようなスカラシップとかグランプリなんて賞はなく、大手映画会社からのメジャー・デビューとか海外映画祭への推薦なんて栄誉もない。当然ながら国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)での上映や、東京国際映画祭との連携もなく、単に応募作から最終選考に残った作品を池袋の文芸座(現在の文芸座とは別)のオールナイトで《その年の最優秀自主製作》として記念上映する程度の規模であった。

 でも、審査員は大島渚、大林宣彦、大森一樹、かわなかのぶひろ、長谷川和彦、原将人、日比野幸子、ほしのあきら、松田政男、松本俊夫(以上、敬称略)という今では信じられない顔ぶれで、予備選考がなく、全ての応募作を全審査員がシッカリ鑑賞という(僕が審査員ならばゼッタイ脱走する地獄体験)形式であった。

 この豪華な審査員の中から、あるお二方が最後まで責任を持って推薦したいとの有り難いお話を頂いたのだ。因みに、旧知の審査員ほしのあきら氏はPFF以前に僕を「コイツだけは何があっても世に出してはならないアホで、相当な危険人物だ!」と吹聴して、『豚の世界』をかなり後年まで拒絶していたけどね。

 

 親しい友人からも必ず出品はするべきだと強く薦められた。だけど、僕にとっては本来の希望を賭けた作品=純粋な喜劇じゃないし、苦労して作った映画ではないので、とにかく悩んだ。場末のチンピラみたいになっていたから、久々に「映画」で悩んだ事になる。もし、この機会に夢の映画界へ入れたとしても、『豚の世界』みたいなテキトー行為が勝手に評価された無教養のガキは、どんな扱いを受けるのだろう? 自分が追究していたのは「喜劇」であって、その目標のひとつに映画製作が関係していたんじゃないのか?と馬鹿なオツムは結論どころか融解し始め、脳ミソが耳から漏れてきた。

 

 こんな調子でグダグダ過ごしている時に、ひょっこりニッポが訪ねてきた。そこで『豚の世界』を見せて、悩みを打ち明けてみた。ニッポは『豚の世界』をかなり苦々しく感じたようで「これはちょっと・・・」と絶句した後、しばらくしてから重くなった口を開いて「やっぱり先輩は喜劇で勝負するべきですよ」と助言をくれた。

 「僕と先輩のコンビで、本当の喜劇を作りましょうよ」

 「それでPFFに殴り込みをかければイイじゃないスか」

 「別にスグPFF出品の結論を出さなくたって、締め切りまで時間があるんですから、スゴイ作品でドカンと一発ブチかましてやれば大丈夫ッスよ」

 「先輩なら出来ますよ」

 その言葉に僕の化石になりかけていた前頭葉の「喜劇」皮質は血が通ったようで、ニッポと二人で夜を徹して『ロイドの福の神』を再見してみた。すると、マック・セネット対ハル・ローチという積年の研究テーマに光明が差した気もして、『下賤民族』とか『豚の世界』は単なる人生の通過点、表現活動の参考事例、これから続く経験値の微細なシミくらいに思えてきた。

 数日後、ニッポは僕の下劣な深夜のアルバイト先へ泊まりがけで遊びに来て、またまた「先輩の奮闘ぶりを見ていると、よ~しヤルぞー!って気が起きてきます」と励ましてくれた。

 翌日、改めてPFFの推薦者へ『豚の世界』出品の辞退を告げると、今度は独りでジックリ『ロイドの福の神』を見直した。そして、《スラップスティック・コメディとどこが違うのか》がボンヤリ理解できたので、急いでニッポに電話をかけて、再び一緒に正真正銘のドタバタ喜劇を作りたいと頼んだ。

 「プロットはほぼ出来たので、ニッポが正統派のヒーロー、僕が狂言回しみたいな悪党になる」

 「タイトルは『誰が為に金は有る』とする」

 「目標はPFFじゃなくて、最初から海外の映画コンクールを狙おう」

 こうして、再び「喜劇」の病熱が上昇するんだけど、この原稿を書くために調べ直したら、小林君とニッポと僕で再結成したニュー・キーストンの第一作が『豚の世界』、第二作が『誰が為に金は有る』、第三作が未完の『下賤民族』から戦闘シーンだけを抜粋して再構成の『ヘビー・メタル・コンバット』、第四作が小林君の『没中時代』となっていた。『豚の世界』が最初の発表作だったとは、ウ~ン、何てこったい。

 

 正真正銘のドタバタ喜劇をニッポと作る…この作業が僕の人生観を大きく変える《事件》になるとは…『豚の世界』が僕の意思とは別に独り歩きした事よりも、もっと衝撃的で悲しい出来事が待ち受けていた。

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『豚の世界』を初公開した当時の自主上映団体『パーセント』のメンバー。

左上より千﨑達也、高本宣弘、矢澤哲、前列左が僕、枠内が加瀬俊広。

 

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会場で配布のパンフレット。
デザイン担当のMが無断で某氏の猟奇イラストを流用していた!