喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
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ローレル&ハーディ伝説 ③~『僕たちのラストステージ』応援作戦その2

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絶妙なコンビネーション

 ローレルとハーディの見事にまでチグハグなリズム感!? 居眠りしていた幼女のごとくヒステリカルで判断力の欠如したローレル、力の限り空回りしているハーディ…しかし、この二人の息がピッタリ合った瞬間の恐ろしさたるや!『僕たちのラストステージ』では、そんなコンビの、プライベートで見せる緊迫感、スターの心の葛藤など、《ボケとツッコミ》の運命的な絆を基調に描いております。なので、今回は《ボケとツッコミ》について詳しくご説明しましょう。

 

ボケとツッコミ

 繰り返しますが、ローレル&ハーディの偉大な点、革新的な点は「映画界」における《ボケとツッコミ》の始祖ということです!

「芸能」という広い領域で考察すると初めての《ボケとツッコミ》かどうかはわかりませんが、少なくとも映画界では初なので、大衆芸能の頂点が「映画」だった時代(「映画」という表現手段の影響力が最も強かった時代)にデビューしたことを考える限り《歴史上、世界で初めて一番有名になったボケとツッコミ》《人類にとって偉大な二歩》なのは間違いないでしょう。

 ローレル&ハーディが登場する以前のコンビ、トリオ、チーム等(いわゆるバディ・コメディ)は、サーカスやヴォードヴィルの流儀を受け継いでツッコミ役が不在(つまり全員がボケ)でした。サーカスをご覧になった方ならおわかりだと思いますが、間抜けな道化師軍団が数多く失敗やスッとぼけを連発して、我々を笑わせてくれる訳です。

 しからば、この道化劇、《ボケ》について先に解説しなければなりませんね!

 

ボケ伝説

 道化師《ボケ》とは、《世間一般の社会規範から著しく逸脱した言動》をネタに笑わせる技芸者です。愚者や酔っ払い等、能動的に問題を引き起こす奇異な人物、いわゆるトラブルメーカーです。それ故にこの《ボケ》役は、「コイツ、アホか!」と客観的に笑って許せる存在でなければなりません(本気でムカつく存在だと、喜劇役者じゃありませんから)。

 

 その起源は、古代信仰の頃に部族の神様を喜ばせるための演技者(芸)が既に存在していたとされます。職業としての道化師(演技)が成立したのは紀元前500年頃のギリシャのmimi、これがローマに波及して吟遊詩人的なシャレを加えてmimusとなり、帝政ローマ期にpantomimusに発展、そして中世に我々の知るパントマイムが確立されたとの説が有力です。

 この時代のパントマイミストについてはもう技芸を知る由もありませんが、王族が演者を庇護するという、いわゆる《宮廷道化師》が当時の主流であったとされます。それが16世紀頃、イタリア北部を発祥とするコメディア・デラルテ(Commedia dell'arte)によって、道化を主軸とした即興喜劇が庶民へと広がりました。

 コメディア・デラルテは独白劇(仮面を顔と後頭部に着装)か集団劇(複数の演者による掛け合い)で、いずれの場合も道化役には名前と設定(職業・性格・年齢等)が決められておりました。この設定が愚者、すなわち《道化師》の元祖とされます。

 当初は街角や広場での大道芸として《演じる範囲を枠で囲む=額縁演劇》で、仮面や派手な衣装を用いていたことから、これらが《舞台》という空間的な発想と、道化師のメイク(白塗りで目鼻立ちを強調する)という発想につながったとされます。

 17世紀半ば、フランスに「モリエール」というペンネームの喜劇作家ジャン=バティスト・ポクランが現われ、風刺を取り入れた作風で道化劇の幅を拡げます(但し、学校教育の普及していない時代の民衆、特に低所得の労働者階級は観劇が不可能だったようですけど)。

 18世紀後半に蒸気機関車が発明され、産業革命が起きると、農村から都市部への移動が活発となり、それに伴って各地に点在していた道化一座も広範囲な巡業を始めます。こうして19世紀半ばにはサーカスやヴォードヴィル(寄席芸能)といった、今日の我々が知る道化師(道化劇)が確立されます。

 彼ら道化師たちは、コメディア・デラルテの伝統を受け継ぐメイクと衣装を、舞台照明のない時代の劇場で客席から各キャラクターがはっきり識別できるようにと改良を繰り返して、風刺や諧謔を加味した演目で大衆娯楽の頂点に君臨します。

 

 さて、テレビも映画もない時代、サーカスやヴォードヴィルで世間一般の人気を集めた道化師《ボケ》ですが、このキャラクターとは観客より劣る人物像であって、笑う側は予め《ツッコミ》的なモラルや教養を有していなければなりません。さらに、客席には人生経験の浅い幼児もいるかもしれませんので、直感的に「こんなことやるってヘンなオジサン!」と理解できる技量も《ボケ》には求められます。

 そんな演者と観客の関係性から、道化劇では敢えて《ツッコミ》役は不要という時代が長く続いておりました。また、一人の《ボケ》で面白いのなら、もっと《ボケ》の人数を増やせば面白さは倍加するという発想が、コメディア・デラルテからサーカスやヴォードヴィルに到る初期道化劇にはありました。

 道化師とは何?と思っている方には、最も有名な芸人がチャップリンだといえば、「なるほど」とおわかりになるでしょう。『ローレル&ハーディ』というコンビでは、《ボケ》役をスタン・ローレルが担当します。

 

ツッコミ登場

 《ツッコミ》役とは、ボケをかました相手に対して、どれだけ道義的に逸脱しているかを説明する健常者です。なので、道化師だけが活躍する時代のヴォードヴィルやサーカスで《ツッコミ》役となっていた観客より、機転が利くキャラクターでなければ《ボケ》の相手役は務まりません。

 それがオリバー・ハーディという《ツッコミ》役であり、彼の登場によって、観客より素早い反応で《ボケ》を更生する(観客が口にできないクレームを代弁するように思わせて、実はボケ具合を増幅させるか、観客に向けてボケの補足している)という高等技術の笑いが完成しました。この手法が現代の漫才やチーム喜劇に継承されている訳です。

 

ボケとツッコミ(極楽コンビ)はどのように生まれたのか…

 この絶妙な組み合わせは誰が考えたのでしょう。ローレルやチャップリン、キートンという道化師たちは、ナマの舞台(ライヴ)で自らの芸を観客との真っ向勝負によって洗練させてきたのですが、観客の主観に近い《ツッコミ》となると、磨きをかける方法をどこから得たのか…

 

 《ツッコミ》役は批評家や作家のように、他人を活写できる力量が必要です。《ボケ》役は言動を他人に諭されるキャラクターとして芸人単体で成立しますが、《ツッコミ》役は内省的な要素に加えて自分自身が他人の賛同を得なければ成立しない孤独なキャラクターです。こんな難しい役が、どうして道化劇から生み出されたのか…!?

 これは僕の推測ですけど、おそらく道化のピン芸人として主役だったローレルに対して、数多くのコメディで助演として実績豊富なハーディを引き立て役で起用、ローレルの暴走(スラップスティック・コメディ)をハーディが制御(シチュエーション・コメディ)という図式をプロデューサーのハル・ローチが考案したところに、このコンビ作品を担当する若い構成作家陣のレオ・マッケリー、ジョージ・スティーブンス、チャールズ・パロット(チャーリー・チェイス)らが補強改良したのでは?と考えました。まさに才気煥発の結晶がこのキャラクター設定なのでしょう。

 

 この僕の推測を裏付ける仮定のひとつは…ハーディの特徴的な演技《怒り、悲しみ、不満、疑問などの感情を、観客(カメラ)に向かって無言の表情でアピールする、または同意を求める》にヒントがあると思いました。

 ローレル&ハーディ登場以前の映画界では、この《観客(カメラ)に向かってアピール》はタブーの行為でした。また、コンビ結成前のハーディには、主演・助演を問わず、カメラに向かって表情を作る演技が見られません。

 理由は、スクリーンの中とは《仮想現実》という、観客にとって絶対に不可侵な世界であって、カメラを意識する(観客に虚構を認識させる)演出は厳禁だったからです(因みに、キートンや“デブ君”ロスコ―・アーバックルの作品には、カメラの存在を観客に意識させるギャグもありますが、これは特例のアヴァンギャルドな演出とお考え下さい)。

 

 しかし、映画界では不文律となっている禁止行為《観客に向かってアピールする》でも、ヴォードヴィルやサーカスでは道化師が常套的に用いる技のひとつだったのです。勘違いや失敗というボケ技を強調するために、道化師は客席へ「アレレ?」とか「どんなもんだい!」という表情を向けて笑いを増幅させます。これで観客との親近感や一体感も得る訳です。

 そんな道化師の《観客に向かってアピールする》演技を、道化役のローレルではなく、ボケ抑止力のハーディに多用させる。しかも《観客の代弁者》として「おい、マジかよ?」「これ、おかしいんじゃねぇ?」「ふざけんな!」という体裁で…これこそがプロデューサー=ハル・ローチの仕掛けた恐るべきアイデア、頭脳スタッフの辣腕!だと僕は考えました。

 ハーディの表情には、演出家の意図、カメラマンの指示がなければ完成できない呼吸が感じられるからです。絶妙なタイミングでハーディがスクリーンから客席に向ける表情(アップ)によって、何百人・何千人という映画館の観客がハーディと自己同一化する訳ですから。

 この《観客(カメラ)に向かってアピール》演技は、『僕たちのラストステージ』でもジョン・C・ライリー演じるハーディによって再現されております。

 

コンビ喜劇の歴史

 19世紀末から20世紀初頭の映画黎明期は、道化師の集団劇が主流でした。この理由は、当時の映画にはまだ特定の登場人物(主人公=スター)という存在が確立されていなかったこと、そして新興の映画産業に参画した人材がジャン・デュラン、ロメオ・ボゼッティ、リュシアン・ノンゲといったサーカスやヴォードヴィルの芸人だったことによります。また、映画興行の世界的なイニシアティブがフランスにあったことからも、作風がドタバタの集団劇に傾倒していた理由となります。

 やがてアンドレ・デードやマックス・ランデールといったスターが誕生すると、1910年前後にフランスではリトル・モーリッツ&ロザリー、イタリアではロドルフィ&ジジョッタ、クリ・クリ(レイモンド・フラン)&セシル・トラヤンが登場、アメリカではジョン・バニー&フローラ・フィンチ、次いでシドニー・ドリュー&ルシル・マクヴェイというコンビが登場しました。

 但し、ローレル&ハーディのような男同士という設定ではなく、実は夫婦(または婚約中の設定で、結婚によりハッピー・エンドとなる)の男女コンビです。

 この男女コンビ喜劇では、ヨーロッパ系が伝統的な道化劇(言語体系の複雑な欧州大陸では視覚的なギャグに重点を置いていた)、アメリカはダメ亭主にガミガミ奥さんのホームドラマ(多民族国家のために道徳教育の目的でヴィクトリア朝の中流家庭を規範としていた)といった作風の違いが挙げられます。

 

 そしてほどなくアメリカ映画界に男同士のコンビが登場します。ハンク&ランク(オーガスタス・カーニー&ヴィクター・ポテロ)、アルカリ・アイク&マスタング・ピート(オーガスタス・カーニー&ウィリアム・トッド)、ワッディ&アーティ(ウィリアム・ワーズワース&アンディ・クラーク)、ポークス&ジャバス(ボビー・バーンズ&ウォルター・ステイル)、ハム&バッド(ロイド・ハミルトン&バッド・ダンカン)、プランプ&ラント(オリバー・ハーディ!とビリー・ルージのコンビ)等です。

 この男同士の組み合わせは西部劇コメディが発端となりますので、《コンビ》という発想は軍や警察での最小単位《分隊》が基準だったのでは?と僕は推測します。

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アルカリ・アイク&マスタング・ピート  初公開時のポスター

 そして1914年以降、アメリカ映画が世界の基準となり、喜劇映画の帝王マック・セネットが台頭してからは、チャールズ・ムレイ&ジェイムズ・フィンレイスン、エディ・ライオンズ&リー・モラン、ジョー・ウェーバー&ルー・フィールズ、ビリー・ビーバン&アンディ・クライド、ロスコー・アーバックル&バスター・キートン等、完全にコンビ喜劇は道化師の集団劇(何とヨーロッパからの伝統に逆戻り!)が当たり前となりました。理由はセネット喜劇がヨーロッパのドタバタ集団劇に着想を得て大ヒットしていたところ、後発の喜劇作家たちが一様にセネットを真似たことによります。

 こんな潮流の中、唯一の例外は、映画が長編化、文芸路線に向かう1920年代にウォーレス・ビアリーとレイモンド・ハットンというむさ苦しい男の二人組が状況喜劇(シチュエーション・コメディ)で人気を博していたことでしょう。このコンビは武骨で間抜けなビアリー、神経質で姑息なハットンの配役設定による長編喜劇で、日本でも『弥次喜多コンビ』なる謳い文句で大ヒット、そこで大河内傳次郎と河部五郎が模倣して日活『弥次喜多』シリーズが生まれたという伝説もあります。

 アーバックル&キートンのように天才道化師の絶妙なハーモニーもあれば、アルカリ・アイク&マスタング・ピートのように(失礼ながら今日の基準ではギャグが理解不能な)バカとアホを並べただけの組み合わせも存在しましたので、コンビ喜劇は創る側、演じる側もかなり難しいジャンルでしょう。

 いずれにしましても、ローレル&ハーディが結成されるまでは、世界に通用する《ボケとツッコミ》の組み合わせが不在のままだった訳です(ダメ亭主にガミガミ奥さんの組み合わせも考え方によっては《ボケとツッコミ》になるかもしれませんが…)。

 

女版ローレル&ハーディも存在!?

 このコンビを生み出したプロデューサーのハル・ローチは、独身の女同士のコンビ(それも美女の組み合わせ)も創案して、セルマ・トッド&ザス・ピッツを売り出します。しかし、ピッツがラジオ・パーソナリティとしても大活躍で人気沸騰となりローチの許を離れたことから、美女コンビはセルマ・トッド&パッツィ・ケリーに変更となりました。

 セルマがハーディに近いキャラクター、ザスまたはパッツィがローレル風のちょっとボケたカワイコちゃんという設定でした。

 それでローレル&ハーディと共に売り出され、人気も急上昇しますが…セルマ・トッドが事件に巻き込まれ遺体で発見されたことから、このコンビは自然消滅となって、やがて映画史からも忘れ去られてしまいました(セルマの事件は、アメリカ・マフィアの首領ラッキー・ルチアーノが関与しているようで、報復を恐れたハル・ローチが刑事告訴を取り下げたことで迷宮入りとなりました)。

 

ローレル&ハーディの脅威

 先述のとおり《ボケとツッコミ》の始祖であったことは当然ながら恐るべき功績ですが、彼らは1927年(=ハリウッド全体が長編化、文芸路線に向かい、映画館も高級志向を目指し、トーキー映画が始まりつつある時代)に登場したのですけど、この時期に於いてプログラム・ピクチャー(大衆向けの添え物短編)で傑作を量産、しかも数年間は無声映画の伝統を守っていたということが超トンデモナイ話です!

 チャップリン、キートン、ロイドはもちろん、著名なスターや監督が長編製作によってステイタスを築き上げたところに、破壊的なドタバタ短編で勝負を挑み、いきなりハリウッド・セレブと互角の地位を確立したなんて傑物はローレル&ハーディだけなのです!

 

 という訳で、次回はローレル&ハーディの芸風を解説しましょう。