喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
※当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

番外編 追悼 志村けん

f:id:the-jet-arano:20200405232106j:plain
『イカサマ野郎』Slick Slickers 1928年より

 

  昭和後期から平成を代表する人気コメディアンの志村けんさんが、2020年(令和二年)3月29日に亡くなった。新型コロナウィルスによる芸能人の被害者では初めて…こんな悲しい幕引きはご本人も気づかないままだろう。

 

 僕はいきなりの訃報をネット・ニュースで知って愕然としたので、改めてここに我が喜劇映画研究会での想い出を綴りたく思う。それで本文は『志村けん』と敬称を抜かす事を予めご理解下さい。理由は、これまでもチャップリン、キートン、ロイド、ローレル&ハーディ等、多くのレジェンド達を敬称ナシの記載としていたので、敢えて志村けんさんも日本代表のレジェンドとして敬意を表し『志村けん』とさせて頂かないと…なので、天国から「おい、オマエそれはないだろ?」と言わないで下さいネ。

 

 喜劇映画研究会の先代会長ケラリーノ・サンドロヴィッチは、恵比寿で上映会を行なっていた1970年代に、志村けんを会場で数回目撃していたようで、SNSにも…

ラサール石井さんに誘って頂き、志村魂の最初期に、ちょっとだけ参加した時のことを思い出す。志村さんとは殆ど会話も交わさなかったが、かつて喜劇映画研究会の上映会に幾度か来てくれて、その時観たサイレントコメディの名シーンをいくつもコントで再現した、みたいなことを聞けて、嬉しかった。2020330日)

 …と載せていた。

 僕は芸能人や劇作家ではないので、もっと一般的なファン目線での志村けんとの想い出、一度だけの《交流》を書き留めておきたい。

 それは1993年3月の事、東京・四谷三丁目の不動産会館ビル(現・文化エステート四谷ビル)の4階にイメージフォーラムがあった当時、『イメージフォーラム・シネマテーク』という、埋もれている古典映画の傑作や新進気鋭の個人作家紹介の企画上映があって、我が喜劇映画研究会も12日(金)から14日(日)まで『サイレント喜劇の絶頂期』という特集を組んで頂いていた時だった。僕は初日の開演時間に勤務先で仕事をしながら「無声映画時代のコメディアンの献身的な演技やブッ飛んだ表現法を、若い人に知って貰えたらなぁ、少しでもお客さんが集まってくれるとイイなぁ」くらいに考えていたら、イメージフォーラムのプログラム・ディレクター池田裕之さん(当時)から会社に「大変な事になっているから、アラノさん、来れたらスグ来て!」と電話があった。その頃はケータイなんてないから、連絡は勤務先か自宅となる訳だ。

 それで夜の回に慌てて駆け込むと、会場のキャパをはるかに超えているであろうお客さんが階下までズラっと並んでいるではないか!こりゃスゲー!と驚いて、翌日の応援スタッフとして映写担当を買って出た。何たって、並んでいたお客様には甚だ申し訳ない事で、スタッフが一番前の人から整理券を配ると、列の途中で入場を打ち切るしかなく、「どうか改めて翌日にお並び下さい」と謝っていたのだから(因みに、この時の受付担当がのちの映画監督・TVディレクター・映画批評家の村上賢司さんと最近知ってビックリ仰天!)。あと、池田さんより「お客様から上映内容のご質問を受けた場合に応えられる講師」役も頼まれたので、こちらも喜んで引き受けた。そして我が喜劇映画研究会からは、会場整理の応援要員として各日に数名の出動を約束した。

 さて、翌日は会社が休みの土曜なので、朝10時に喜研班とイメフォー班が合流して、事務所でコーヒーを飲んでいると、問い合わせの電話が入った。池田さんの応対に聞き耳を立てていると「…いえ、ですから予約は受けておりません」「特別席もございません」「どなたも並んで頂きます」「整理券をお配りしますので…」と、何やら押し問答気味。それで通話を終えてから「どうやら、誰か大物芸能人が来るらしい」と教えてくれた。

 誰が来るのだろう?古いコメディに興味があるって?と興味津々で開場準備を整えていると、早速「先程お電話しました…」とマネージャーを名乗る人が並び始めた。直後には前日を凌駕する長蛇の列!

 そして開場、マネージャー氏が席を確保すると同時に、全席がアッサリ埋まったではないか!さらに通路も立ち見の人でギュウギュウだ(今だと消防法や衛生法で厳重注意を頂戴するかも)。周囲の状況を確認してからマネージャー氏は「ワタシ、次の仕事がありますンで…当人が来たら案内して頂けますか?」と頼んで来た。その旨を池田さんへ報告すると、無造作に極太の油性ペンでコピー用紙に《予約席》と書いて、受付の村上さんへ渡して「予約しましたという人がきたら、案内してね」だって!さっきの電話とは態度が違うので、これには笑ったなぁ!池田さんも「誰が来るんだろう?」とワクワクしているのがわかった。

 開演5分前、押し寄せるお客様によって、既に会場の扉は閉められない状態だ。そこへ「ワリ~、ワリ~、遅くなっちゃった!」とTVで見たまんまの志村けんが手を挙げて走って来た!これで僕の目の前でドテッと転んだら、ドリフの定番ギャグになる!まさか人気絶頂の現役コメディアンが自主上映にご来場されるとは驚いた!

 志村けんは、揉みくちゃの会場を「スンマセンねぇ」と謝りつつ、かき分けて進んで行くではないか。人気コメディアンの来場は当然ながら一般の方々も知らないので、場内は一様にサプライズとなっていたのがよくわかる。そしてようやく上映が始まると、超満員の会場は文字通りの大爆笑で地響きが起きた。この日の気温は20度以下だったと思うけど、扉を開けたまま上映しているため、中の熱気まで漏れて、何だか夏みたいに暑い。僕は受付の前にあるソファで、このイイ雰囲気に浸っていた。池田さんも「大物芸能人は、志村さんだったのかぁ。凄く研究熱心で努力家だと聞いた事あるけど、本当だねぇ」と嬉しそうに笑っていた。その間も遅れて到着して「入場打ち切り」を告げられたお客さんは多く、仕方なく無念そうに踵を返す状況が続いていた。

 僕が応対した大学生くらいの青年は、「もう扉も閉められないし、受付の前まで人が溢れて、これ以上は入れられませんので…」と説明すると、いきなり号泣して階段を駆け下りたので、つい僕まで釣られて「ちょっ、ちょっと」と謝りつつ追いかけてしまった(ボーイズ・ラブじゃあるまいし)。でも、もし遠方から無理して訪れてくれたのであったら、本当に申し訳なかったなぁと、今でも時々思い出してます。

 

 因みに、この時のプログラムだけど入れ替え制で二つ、Aプログラムは短編・中編を併せて5作品…

『イカサマ野郎』Slick Slickers 1928年

製作:アル・クリスティ、主演ニール・バーンズ

『最狂自動車レース』The Lizzies of the Field 1924年

製作:マック・セネット、主演ビリー・ビーバン&シド・スミス

『ロイドの落胆無用』Never Weaken 1921年

製作:ハル・ローチ、主演:ハロルド・ロイド

『モロッコ製の女給』Maid in Morocco 1925年

製作:ジャック・ホワイト、主演:ルピノ・レイン

『ホテルマン』The Bellhop 1921年

監督・主演:ラリー・シモン

 

 Bプログラムは…

『ロンサム・リュークの爆裂映画館』Luke's Movie Muddle 1916年

『ロイドの要心無用/完全版』Safety Last 1923年

 共に製作:ハル・ローチ、主演:ハロルド・ロイド

…という、昔の喜劇はすべてチャップリン調と思っている若い人は、きっと脳天にハイキックを喰らわされたような衝撃の、見せ場タップリの傑作を厳選していた。それもすべてフィルム上映だ(というより、実は当時のビデオ・プロジェクターが高価なだけで画質はボワボワだから、実用的ではなかっただけの話)。でも、この期間で初めて、ラリー・シモンやルピノ・レインといった既に忘却の彼方のコメディアンやロイド喜劇をご覧になった評論家たちは、誰もが相当なショックを受けたと教えてくれた。どうだ、参ったかぁ!

f:id:the-jet-arano:20200405232118j:plain

 それでAプログラムが終了すると、お客さんはみんな汗ビッショリで紅潮した顔、志村けんも真っ赤っかで「うわ、アッチーやコリャ!」と汗だく、フ~と息を吹いて大混雑に馴染んでいた。僕の座っていた受付前のソファを指さして「座っていいスか?」と訊かれたので、「どうぞ、どうぞ」と勧めると、ハンカチを団扇みたいにパタパタやりながら腰を降ろした。ちょうどマネージャー氏は次のBプログラムに並ぶため缶コーラを持って戻っていて、「ご苦労様ッス」と志村けんに渡すと、「おう、アンガト」というなり一気に飲んでまたフ~。「いやぁ、大盛況だわ~」「おもしかった~(面白かった~)」とマネージャーヘ大声で話していたので、僕はすかさず受付で販売中の拙著『サイレント・コメディ全史』を「スミマセンけど、これ買って貰えませんか?」と見せた。すると一瞬、志村けんの目がギロっと輝き、また細い目になって「おー!」というや、本を僕から奪うように受け取りパラパラめくり始めた。マネージャー氏へ「おう、払っといて!」と大声で伝えると、いきなり熟読スタート!

 Bプログラムまでの入れ替え時間の約30分で換気、そしてまさかの3月にクーラー使用で場内整備を済ますと、再び受付の村上さんが「お待たせしました!整理番号順のご入場となります!」と呼びかけた。しかし、村上さんの目の前に座っている志村けんは凄いコワイ顔で口を開けたまま熟読中。それで僕が恐る恐る近寄って「そろそろ始めますので…」と囁くと、「おう、さてと。また楽しませて頂くとするかぁ!」と手をグルグル回しながら、打順になったバッターみたいな調子でご入場。この回も壁や床が揺れるほどの大爆笑で、冷房に切り替えたエアコンもあまり役には立たなかった(3月だから低温強冷にしなかったのが仇になったかも)。

 終演後に志村けんはまたも「いやぁ、おもしかった~!」と叫ぶと、僕に握手してくれた(と記憶する…)。当代一流のコメディアンが、インターネットもない時代に、数少ない情報誌での告知だけを頼りに自主上映にやって来て、みんなと一緒にグチャグチャになりながら汗まみれで鑑賞、そして次の開演を忘れるほど熱中して大きな目玉を広げての読書なんて…それがザ・ドリフターズの主役級キャラクターで、老若男女問わず日本中を沸かせているケンちゃん、バカ殿、へんなおじさんの素顔だとは!人気に奢る事なく、貪欲に新旧の笑いを吸収しようとする姿勢…そんな志村けんを、僕は翌週からアテネ・フランセで開始した(そして入場者数の最高記録を樹立した)またも大混雑の『キートン大全集』でも目撃したのだった。

 

 慎んで志村けんさんのご冥福をお祈りします。あの日の表情はいつまでも忘れません。合掌。

 

f:id:the-jet-arano:20200405232112j:plain

当時のパンフレット