喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
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第十一話 ハナ肇の「喜劇研究会」

 喜劇研究会という名称は知らなかった。ましてやハナ肇が顧問というのは、ハッタリにしてもキョーレツ過ぎる!しかも、小林君ら三人はこの数日前に入学したばかりだから、喜劇研究会には中学生で加入していた事になる!彼らの中学校にハナ肇似の顧問がいる映画製作クラブがあって、自分たちのグループを「喜劇研究会」って称しているのか???

 

 もうバレバレだろうけど、この小林君とは、のちのケラリーノ・サンドロヴィッチその人だ。そして、彼と中学の同級生である多田浩章、平澤治の計三名で、1976年(中2の時)に雑誌「ぴあ」の同人募集広告(読者の呼びかけ欄)を見て入会したのが「喜劇研究会」との事だ。

 彼らはスグに僕を逆勧誘しようと、熱心に喜劇研究会の説明を始めた。喜劇研究会とは・・・

《明治大学にある演劇サークル騒動舎の座長が主宰》

《もともとはナベプロ公認の明大生によるハナ肇とクレージーキャッツ・ファンクラブだった》

《彼らがハナさんより「オレらばかり追ってねぇで、もっと視野を広く、色々な喜劇を学べ」と一喝されて、喜劇研究会を創設した》

《だからハナさんが顧問となっている》

《構成メンバーは騒動舎に在籍の明大生とそのOB》

《小林君ら三名が最年少で、一番上は35歳のナンバさんという男だ》

《月に1回、恵比寿や新宿の喫茶店で会合を開いている》との事だった。

 僕はただただカルチャー・ショックを受けるだけで、トンデモナイ後輩が映画同好会へ入ってきたもんだと仰天していた。

 

 ここでちょっと訂正すると・・・2000年7月に大衆演劇研究家の原健太郎さん(元・喜劇研究会のメンバー)と初めてお会いした際、正確な情報を改めてお聞きした。事実はこうだ・・・

《当時、クレージーのファンクラブ会長だった早稲田大学に在学中の富樫直人さんと副会長だった青山学院大学の岡本恒雄さんが、喜劇研究会を立ち上げた》

《原さんは当時、明治大学の二年生で、同大からの入会は原さんだけ》

《騒動舎は原さんが仲間と創設した劇団で、喜劇研究会とはまったく別の団体》

《喜劇研究会に加入した騒動舎メンバーは原さんだけ》

《原さん以外の騒動舎メンバーも喜劇研究会の会合へ遊びに行く事はあった》

 つまり、小林君らの説明による、最年少から最年長までの情況と、ハナ肇が顧問という話だけが事実だった訳だ。

 

 現在の情報も記しておこう・・・

《騒動舎とは、明大から笑いの求道者、芸能人を多く輩出したサークルだったが、現在は早稲田大学にそのDNAを受け継いだサークルがある》

《原さんと創設メンバーの方々により、2017年に『騒動舎リターンズ』として、オリジナル騒動舎が再結成された!》

 この話は昨秋に僕が小林君(つまりケラリーノ・サンドロヴィッチ)へ伝えたところ、相当に驚いていたので、40年前に僕が驚かされた仕返しにはなったかもしれない!?

騒動舎リターンズの詳細はコチラ、皆さんもビックリして下さい!

 

blog.livedoor.jp

 

 ちょっと高校の映画同好会の話から逸脱しちゃったので、話を戻そう。まず、僕が小林君らの説明で脅威を感じたのは、中坊が大学生や社会人と一緒に喫茶店での定例会へ参加している事だった!同級生や先輩でもマセている奴は沢山いたけど、こんなアクティヴでプログレッシヴな少年たちは初めて会った!

 そこへダメ押しみたいに、小林君ら三人が渋谷区在住と聞かされて、僕はリング外でバックドロップを喰らわされた気分となった!

 渋谷とは、通学の時に電車を乗り換えるメトロポリスじゃないか!僕が初めてチャップリン映画を見た街だゾ!コイツらきっと、食事は銀製のナイフとフォークを使っているに違いない!僕の住むドン臭い大田区と彼らの渋谷区では、ドサ廻りの田舎芝居の大根役者とハリウッド・セレブを比べるようなものだ!

 こんな彼らが、僕の地元民と営む退嬰的な『無声映画の研究ごっこ』に加わりたいだと!? それで喜劇研究会にも入ったらどうかだって?

 とても無理だ!彼らとは文化レベルが違い過ぎる!

 

 もともと僕は人見知りが激しく、華々しいトコが苦手なペシミストなので(今も変わらないのが問題だと自覚はあるけど・・・)、とりあえず幼馴染みで『無声映画の研究ごっこ』の構成員、そして成金趣味の御曹司であるターを小林君らに紹介して、僕の代わりに喜劇研究会へ加入してもらった。

 ようやくマック・セネット対ハル・ローチなんて話ができる相手や環境が目の前に広がったけど、僕にはまだ踏み出す勇気がなかった。

 

 やがて、喜劇研究会に入ったターを通じて、小林君のコメディに関する造詣がトンデモナイと知る。

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1978年8月撮影、喜劇研究会の最年少メンバーと。
左からター、僕、小林一三、平澤治、寝転がっているのが多田浩章。
この後に僕だけ帰宅して、四人は恵比寿の喫茶店で行われる会合へ向かった。
因みに、僕は写真撮影も恥ずかしくて、小道具のレンズなしメガネをかけている。