喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
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第十二話 マルクス狂賛主義

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東宝事業部発行の冊子、「ハロー!キートン」上映時に劇場で売られていた。
当時の定価は500円ながら、値段以上の超豪華な執筆陣!
僕のキートンに関する知識は、この冊子に掲載されている記事くらいだったけど、小林君は・・・

 喜劇研究会は畏懼いくして行くに行けず。だけど、マック・セネットとかハル・ローチとかベン・ターピンとかモンティ・バンクスなんて話のわかる小林君が仲間になった事は、これで僕もようやく地底の闇に棲息するマイノリティではなくなった気分だ。

 しかし、話が弾むにつれ、『新野敏也の喜劇入門』のごとき幼稚な落書きでウカレているような馬鹿ガキと対等に付き合ってくれる相手ではない・・・と感じた。小林君とは後輩ながらも一体何歳だ???という戦慄が僕の脊髄を駆け抜けたのだ。

 

 とりあえず、最初に僕の家へ喜劇研究会最年少トリオで招いたんだけど、目隠しで町中を連れ回すという、いかにもジャリっぽい悪ふざけで歓迎して、ワイワイ騒いでからキートンの話題に入った。

 この時点で、僕は『ハロー!キートン』シリーズで順次公開された『セブン・チャンス』『海底王』『蒸気船』『探偵学入門』『恋愛三代記』と併映の短編しか知らなかった。以降のシリーズは上映未定のため、作品情報は劇場で売られていた東宝発行の冊子『キートン 笑わぬ男の笑いの世界』か、キネマ旬報社・刊『世界の映画作家26冬の号/バスター・キートンと喜劇の黄金時代』しかない筈なんだけど。なんだけど・・・

 ところがどすこい!ごっつぁんです!とばかりに小林君は『カレッジ・ライフ(『キートンの大学生』リバイバル予定時の新題)』『ラスト・ラウンド(『拳闘屋キートン』リバイバル予定時の新題)』を熱く語り出した。

 「あの二作品は運動神経のイイ人が鈍いフリを演じるので、そこんとこに無理があるんですよ」「ボクシングの練習シーンはギャグじゃなくて、マジメに痛々しい」

 

 ナゼ? 公開してない筈の作品を、ギャグや細かいディティールまで話せる訳? 戦後は公開していないのに、君は何年生まれなんだい? 仮に最近になってフランス映画社の試写会へ行っていたとしても、1回限りの鑑賞で語れるようなノリじゃないヨ!

 しかも翌日、学校で会ったら「先輩が『蒸気船』の話をするもんだから、家に帰ってまた見ちゃったじゃないスか」だって。

 

 当然ながら1978年4月では、ネット検索やらYouTubeなんぞは全宇宙を見渡しても存在しないし、ビデオ・ソフトも海賊版ですらまだ売られていない。家庭用ビデオ機器もソニーのβ方式か日本ビクター(現・JVCケンウッド)のVHS方式が流通し始めた頃で、まだまだ一般人の買える値段ではない・・・それも最長60分の録画機能しかない時代だ。今でこそ、海外版DVDやYouTube画像を自分の手柄みたいにひけらかす一言居士とか、他人のウケウリを得意満面に喋る自称研究家なんかはいるけど、1978年4月は無軌道なキチガイ星人ですら、そんなパクリ芸もホラ話もできない御時世なのだ。情報源もなければ、妄想のヒントもないのだから。

 なら、ホラでなければ何を話してんだ? パラノイアだとしても、あまりに理路整然としているゾ? まさか見かけは高1でも、大正生まれで初公開を見ていたりして?? もしくは輪廻転生って訳か???

 

 そのうちに「マルクス兄弟はどうです?」「先輩はゼッタイに好きな筈ですよ」と、またまた未知なる脅威で僕を追い詰めてくる。

 「昨日から不思議に思ったけど、家にマルクスがある訳?」

 「ありますよ。見に来ます?」

 「行きたい!行きたい!」

 「じゃあ、いっぱい見せたい物がありますので、泊りがけで来て下さい!」というような展開になった。

 

 かくして、次の土曜の夕方に小林君宅へお邪魔するのだけど《行ってみたらどんなオチが待ち受けているのやら・・・》というカンジで臨んでみた。

 すると小林君の家には、エルモ製8mm映写機(それも当時の高級機種ST-800)と16mm映写機(16-CLだったか?)、ビデオ・カメラとデッキ(おそらくAKAI VC-300というカメラとVT-300というデッキだったような・・・)、ソニーのベータマックス、そしてキートンやマック・セネットのフィルムがあるではないか!

 フィルム映写機だけでもビビらせるには充分の貫録なのに、加えてビデオは1976年に家庭用として初めて登場したVK規格(モノクロしか記録再生できない)と、最新鋭のβ方式だ!大卒男子の初任給が平均11万円弱だった当時で総額90万円以上のビデオ機材が揃っている!フィルム映写機と合わせたら140万超じゃないの!何なのよアンタ!(由利徹の喋り方)。

 

 因みに、この趣味に特化したセレブぶりには、有名なオチがある。ケラリーノ・サンドロヴィッチとなってからの小林君が自著などで述べているので、ここでは割愛させて頂くけどね♪

 

 小林君は、悪名高きフィルム輸入代行業J(現在も営業中)にふっかけられながらマルクス兄弟、キートン、チャップリン、セネット等のフィルムをバンバン買っていた(後年に判明した事では、Jは中坊から定価の4倍~20倍をむしり取ってやがった!)

 さらに、借りたフィルムをビデオ・カメラでスクリーン再撮影して保存していたり・・・僕の『研究ごっこ』なんかとケタが違う実践躬行ぶりで知識を蓄えていた。

 

 夜を徹して翌昼まで小林君が見せてくれた映画は、(中原弓彦先生の晶文社・刊『マルクス兄弟のおかしな世界』、『世界の喜劇人』から文字情報だけが流布している)伝説のコメディ『御冗談でショ』『我輩はカモである』、そして僕のリクエスト『殺人狂時代』、あとコメディ専門の洋書や古書など。とにかく満腹フルコースでもてなしてくれた。

 

 この日、初めてマルクスを味わったけど、その魅力よりも小林君のコメディを観照する力量、フィルム・コレクションに関する薀蓄、エンタテインメントへの情愛に圧倒されて、僕は自分が井の中の・・・というより、水溜りの中のオタマジャクシが外洋を泳ぐ大型シャチと友達になった気がしてきた。

 

 水棲生物の種類より何より、最も痛烈な一撃は「喜劇映画研究会という上映活動もやっているんですヨ」と、フィルムを掛け替えながら事もなげにいう、高1になったばかりの小僧にふさわしくないセリフだった。