喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
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第十四話 上映会のヒミツ

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(左)現存する最古の「喜劇映画研究会」パンフレット。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏が小林君だった時の手書きで、
B4コピーを半分に手で切っていた… 
(右)喜劇研究会が発行した「喜劇新聞」創刊号。
両面・縮小コピーの不可能な時代なので、ちゃんと印刷所で作られた。


 初参加の喜劇映画研究会は、小林君が受付、多田君が映写係だった。会場のスペース50は、かなり年配のオジサン独りが店番のようなカンジでいたけど、この人は彼らの作業を傍から眺めているだけで、何かトラブルが起きたら対処してくれるという大家さんみたいな存在だった。

 場内は数名のお客さんがくつろいで上映開始を待っている様子で、上映開始と同時に最前列にいた青年の缶ビールを開ける「プシュッ」が響いた。

 (上映後に小林君から紹介されたけど、この缶ビールの青年は喜劇研究会の吉村さんという、僕らより一回り以上の年配の方で、いつも上映会に参加され、最前列を陣取って缶ビールを飲むのがお愉しみとの事)。

 

 上映の主旨説明は、定刻になるとマイクを通した小林君の声で「本日の上映作品は・・・」と題名、製作年度、主演、監督を伝える短いアナウンスが入るのみ。現在の喜劇映画研究会関連の上映では僕がスクリーンの前で作品の概略を解説するけど、この当時、小林君は一切姿を見せず、映写室からスピ-カー越しに少年とは思えない落ち着いた声で淡々と上映開始を告げるだけ。実はこれがクセモノ(?)だった!

 

 内実を知らない限り、誰も受付の少年が場内アナウンスの声の主と同一人物とは思わない。なので、喜劇映画研究会はガキ共の運営なんて一般の人にはわからない訳だ。

 小林君によれば・・・

 「映画好きの一家が趣味で自主上映をしていると勘違いされ、そこの子供がいやいや手伝わされていると思われた」

 「可哀想に、お父さんに受付をやらされてるんでしょ?」

 「頑張ってね!」とよく同情されたそうだ。

 さすが!人の親切心につけ込む悪徳商法!って、そんなあざとい営利感覚は小林君らに微塵もなく、彼はひたすら自身が「知りたい」「見たい」「面白い」と思う作品をどこからか発掘してきて、熱心なコメディ愛好家と感動を共有したいだけだったのだ。

 

 それにしても、とにかく中坊や高1そこらの小僧が企画したとは考えられないくらい、シブくマニアックで希少な作品ばかりが選定されている!こりゃ、壮年期の充血映画マニアがド根性で運営していると勘違いされて当然だ。

 因みに、この日は銀座の映画レンタル業者から借りてきたレッド・スケルトンの『運ちゃん武勇伝』日本語字幕入りがトリで、それに小林コレクションのW・C・フィールズとアボット&コステロの短編、ボブ・ホープ作品のダイジェスト(いずれも日本語字幕ナシ)が併映された。

 僕はアボット&コステロとかホープを赤ん坊の頃にテレビ放映で何かわからず見ていたくらいの印象なので、ちゃんと鑑賞するのは初めて。スケルトンに到っては、この日にようやく名前を知ったくらいだ!

 とにかく、こんなプログラムを高1の小僧がフツウに考えるか?例えば、今の中高生に企画させると、おそらくディズニーのVFX作品とかジブリのアニメとか、アイドル主演ドラマなんかを選ぶだろう。それが健常者の本道だろう。小林君の年齢不相応な趣味嗜好は、世代を超えて映画ファンを魅了する魔境・・・というか、ブッ飛んでいるとしか思えない!

 

 そもそも、埋もれた旧作を探し出してくる知識や情報源がどこにあるんだろうか? この頃だと、中原弓彦先生の著作『世界の喜劇人』しか海外の古い喜劇映画を語るものはないのだから・・・もはや小林君の鑑識眼はオカルトの域に達している!

 何よりも僕が感銘を受けたのは、小林君が骨董マニアみたいな懐古趣味に耽溺している訳ではなく、モンティ・パイソンや新進気鋭(当時)のジョン・ランディス作品に古典の経脈を見出して、《普遍的な笑い》を追究している点だった。

 でも、小林君は自らの喜劇映画研究会のパンフレットや上映解説では、その恐るべき知見を披歴せず、喜劇研究会の発行する『喜劇界』『喜劇新聞』にのみ論評を寄せていた。

 これが映画評論家や配給会社などから、しばらくは《喜劇映画研究会の謎の主宰者》《顔も年齢も不明》という一種の都市伝説みたいになっていたのだ!?

 

 《顔も・・・不明》で面白いウラ話(本当にウラの話)を思い出したので披露しよう。1993年にケラリーノ・サンドロヴィッチとして喜劇映画研究会に一時復帰(?)した小林君の事だ。

 この年の12月、新宿シアター・トップスでナイロン100℃第二回公演として『SLAPSTICKS』が初演され、その特別記念イベントとして『KERA PRESENTSサイレントコメディ連続上映会』が同劇場のマチネで行われた。上映会の趣向は「KERA選曲による無声映画の上映」だけど、この時も小林君(KERAまたはケラリーノ・サンドロヴィッチ)は昔と変わらず舞台挨拶や解説もなく、ましてやターンテーブルを操るとかシンセを弾くなんてナマ実技パフォーマンスもなかった。

 儀礼的に開演ブザーが鳴ると、KERA氏の好きなテクノ・サウンドをBGMに淡々と無声映画が始まる・・・お客様からすれば、単にKERA氏の愛する最新ミュージックと古典映画のコラボだと思っていただろう。

 ところが、実はウラ(つまり映写室)で開演ブザーもKERA氏が「じゃ、そろそろ始めますか」とボタンを押してブー!映写室の小窓からスクリーンを確認しつつ、持参した膨大な量のCDをKERA氏ご本人が旧式の据え置きデッキでアタフタ掛け替えていたのだ!

 今なら映像と音源をリミックスしたデータなどでプロジェクター投影するのがフツウだし、即興のDJ実演ならば音もサンプラーなんかで対処するけど、この時は一発勝負のフィルム上映! 小林君(KERA氏)は、ミキサーさんに「次の画面で音を絞って」とか、映写技師さんに「イントロが流れたらスタートして下さい」と、昔のラジオ局みたいに、すべて本気の手作業でDJ(ディスク・ジョッキー)に挑んでいた。

 映写室で僕が「まさか天下のケラリーノ・サンドロヴィッチ、座長自らが開演ブザーを鳴らしているなんて、わかったらみんなブッたまげるだろうなぁ」と笑うと、小林君は「まぁ、これもDJみたいなもんスから」と返してきた。

 ウラ話はこれだけに留まらず、実はこの時の上映技師さん、今や実力派の映画監督・脚本家として知られる井土紀州さんだったんだ!

 因みに、僕の代になってからの喜劇映画研究会でも、当日のスタッフが足りなくて・・・という理由で国際的なアニメーション作家の浅野優子さん、小口詩子さん(現・武蔵野美術大学教授)に映写を担当してもらったり、冨田美香さん(現・国立映画アーカイブ 企画事業室長)に受付を担当してもらったりと、無礼極まりないキョーレツな過去がある。

 小口さんの際は、ちょうどご本人の作った映画『おでかけ日記』がテレビ放映されて、時の人となっている最中だったので、ご来場されたお客様が騒ぎ出して喜劇映画よりウケていた・・・こんなウラ話は思い返すと尽きない!?

 

 小林君の喜劇映画研究会に行った話からだいぶ逸脱しちまった!とにかく、この1978年8月16日水曜日に、僕は「喜劇研究会」と「喜劇映画研究会」を実体験した。小林君こそマック・セネット対ハル・ローチなんちゅう会話の通じる相手で、自主製作映画の共同作業も楽しくなるだろうなぁ、とてつもなくスゴイ人物と知り合えて嬉しいなぁと感激して、学業は完全に頭から消えていた。

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1993年12月30日、シアター・トップスにて映写の準備をする井土紀州さん。