ローレルとハーディ、それぞれの愛称
スタン・ローレルは、本名がアーサー・スタンレー・ジェファーソン、最初の芸名がスタン・ジェファーソン(Stan Jefferson)でした。この名でイギリスのカルノー座から独立し、アメリカのヴォードヴィルの舞台へ進出していたのですが、あまり人気が上がらず悩んでいたそうです。それで当時、同棲していた占い好きの女優メイ・ダールバーグから「芸名が13文字だと成功は寄りつかない」と告げられると、1917年にローレル(Laurel=勝利の月桂冠)と改名しました。するとたちまち映画界からのオファーが増えたとの逸話があります。
オリバー・ハーディは、本名がノーベル・ハーディですが、敬愛する父親の名前オリバーをファースト・ネームに受け継いで、後年には本名としても公式に登記しました。童顔であるため友人や仕事仲間からベイブ(Babe=赤ちゃん、坊やの意)と呼ばれていたので、芸名をベイブ・ハーディとしていた時期もあります。因みに、ローレルと組んでからも《いかついチョビ髭のオッサン》キャラとは別に、可愛らしい素顔(ベイブ)を『Brats(極楽ちびっ子騒動)』で自身の愛息子キャラ、『Twice Two(極楽夫婦)』では夫ローレルの態度ですぐに泣きじゃくる女房キャラ(声は女優がアフレコ)として披露しております。因みに、両作品ともに通常版ハーディの《いかついチョビ髭のオッサン》キャラと併せて二役をこなし、見事な芸達者ぶりで笑わせてくれます。
さてさて、こんなローレル&ハーディを日本では「極楽コンビ」と呼んでおりました。このネーミングは昭和6年(1931年)に初公開された『極楽二人組(原題Pardon Us)』という邦題が端緒となって、以降、彼らの主演作には「極楽●●」という形容句が付されたのです。
まぁ、スティーブン・セガール主演作が『沈黙の●●』とシリーズ名みたいに謳われるのとニュアンスは近いのですが、実は当時の日本人が外国語に不慣れなため、英語の人名が覚えられなかったり、子供でも主演者が誰かスグわかるようにとの配給会社側(MGM日本支社)の思惑もありました。また、どっちがローレルでどっちがハーディかもわからない(というよりコンビで一心同体なので)、親しみやすい和風の愛称が付けられた訳です。
同様に、英米以外の国々では、大抵「デブとヤセ」みたいな愛称で呼ばれていたのですが、ドイツではDick und Doof(肥厚と馬鹿)、ポーランドではFlip i Flap(フリップとフラップ=繰り返し、馬鹿の一つ覚え)と呼ばれておりました。ドイツ、ポーランドの呼び名は蔑称にも思えますが、彼らを芸風ごと端的に表わしている点は見事です!?
ローレル&ハーディの芸風とギャグ分析
コンビ結成以前のローレルは、チャップリンと同門だった事もあって、流麗なパントマイムを武器とするヨーロッパ伝統の道化師でした。ハーディと組んだ以降も伝統的な道化を継承してはいますが…ちょっと表現が変わります(詳しくは後述)。
単独で主演していた頃のローレルは、ストーリーの流れよりも《一発芸的なギャグの冴え》に重点を置き、奇抜なギャグの集積によって作品全体の構成を固める、つまりは《ストーリーなんか二の次で、キャラクターやギャグが視覚的に面白ければイイだろ》みたいな作風でした。
これはローレルの映画デビュー当時、すべての喜劇製作者がマック・セネット率いるキーストン喜劇の潮流に揉まれていたという事情もあって、若きローレルもセネット調の作風に合わせていたものと考えられます。なぜならローレルは、映画界に転向する直前まで元カルノー座の道化師二人と組んで「キーストン・トリオ」を名乗り、アメリカ巡業を重ねていたくらいですから。こりゃセネットやチャップリンに対する憧憬の念は、焦りに近かったとも推測できますね。
一方のハーディは、ローカル劇団の子役からキャリアをスタートさせて、一時は法律家になろうと進学しますが、演劇への夢が捨てきれず、ミンストレル・ショー(白人が顔を黒く塗って黒人の習俗を真似るヴォードヴィルの演目)へ転身したという人物です。当時は《歌がウマくてなんぼ》という役者稼業なので、ハーディは歌に磨きをかけていたそうです。
そして1910年、彼の役者人生は《映画》という新しい舞台が登場した事で、やや進路を変えました。でも、黎明期の映画は《無声》があたり前なので歌声も披露できませんから、暫くは撮影現場のバイプレイヤーに甘んじて過ごすしか選択肢はなかったようですけど。
やがてセネット調コメディが流行すると、ハーディも喜劇役者へと転向し、ビリー・ルージという相方と組んでの『プランプ&ラント』なるコンビ主演の喜劇を発表します。が、この時点ではまだ大きな成功は得られませんでした。それから単独主演作も発表しますが人気スターとなるには程遠く、再び助演に廻ります。
それで最初にハーディを重用したのは、チャップリンの確信犯的ニセモノ喜劇役者ビリー・ウエストで、ハーディは《チャップリンの敵役=ヒゲ面の巨漢エリック・キャンベル》の模倣キャラを演じました。次に同キャラそのまんま、人気急上昇中のコメディアン兼監督ラリー・シモンに起用されたのです。
↑ ビリー・ウェスト
僕の見立ては、ウエストやシモンの敵役から、ハーディが《ボケ役を立てるスノッブな演技》を会得したと考えております。ローレルとの絶妙なコンビネーションは、このウエストやシモンとの競演によって土台が築かれたように感じるのです。何というか、相手の魅力を引き出しつつ自己主張も怠らない独特の存在感、圧倒的な体格差があるにも関わらず時に小さく幼く見えるような、まさにベイブというカンジでふてぶてしい、愛すべき敵役なんです。
↑ ラリー・シモン
とにかく、こうしたキャリアが1927年にローレル&ハーディという映画界の伝説に結びつくのですが、実はその6年前に一度だけ(1921年ですが、近年まで1917年作品とされていた)『The Lucky Dog(お犬様騒動)』というハル・ローチ製作の短編でローレルとハーディは第一種接近遭遇します。
蛇足ながら記しておくと、現在のように無料動画配信や輸入DVD等で古典映画が気軽に鑑賞できる状況ではなく、インターネットもない頃(つまり1980年代までは)、この『The Lucky Dog(お犬様騒動)』を見た事もない評論家や自称研究者が《1917年作の初コンビ映画》と知ったかぶりを披歴していたのですけど、本作は単純にボケのローレル(主役)にボケ強盗のハーディが絡むだけ。まだハーディの《ボケ役を立てるスノッブな演技》は確立されておりません(まぁ、主役級のローレルがストーリーを展開させる、典型的な道化師の集団劇です)。
そんな紆余曲折を経て、コンビ結成を果たすローレルとハーディですけど、まず今までの映画コメディアンにはない斬新な展開で、つまり当ブログで繰り返し述べている《ボケとツッコミの始祖》という点で、一気にスターの座へと駆け上がります。
この「ローレル&ハーディ」とは、ただコンビ形態が目新しい《ボケとツッコミ》というだけじゃありません。まずこの組み合わせの特筆すべき脅威は、伝統的な道化師コンビ(または集団)のように互いが同一リズムで規則的に行動するのではなく、ローレルとハーディ双方のリズム感の狂いをウリにしている点でしょう。
とにかく最初はまるで噛み合わない…チグハグな二人がバラバラに互いを許容するつもり(または非難するつもり)でそれぞれ矯正に努めます。四拍子のローレルに対して三拍子のハーディが同じメロディを奏でるがごとく、たまに干渉こそすれど同調はあり得ない展開となります。このズレで観客の心を奪い、噛み合わない男二人の喜劇と思わせるのですが、ところがどっこい、それは飽くまで物語の予兆を告げるだけ。話が進むにつれ、ある瞬間にカッチリ同調するや爆発的な破壊力を発揮して、悪夢の展開へと我々をいざなうのです。
代表作『Big Business(ビッグ・ビジネス)』を例にすると、ローレルとハーディは雪の降らない南カリフォルニアでクリスマス・ツリーの訪問販売をします。巡る先々で購入を断られますが、その原因はローレルのボケ具合がほとんど。ようやく頑固そうなスコットランド系のオッサンからローレルが「来年の予約」を取り付けますが、オッサンにしてみれば執拗な行商コンビを追い払う口実であって、クリスマス・ツリーなんか買う気もないので、大きな剪定鋏で斬ってしまいます(ここまではローレルとハーディのリズム感がチグハグな展開です)。
不快な表情に豹変したローレルがオッサン宅の玄関ドア辺りをナイフで削り始めた事で、オッサンとコンビの抗争が勃発、やがて意を決したコンビ(ここからローレルとハーディのテンポがピッタリ同調)によるオッサン宅の徹底破壊と、オッサンによるコンビへの報復(同様にコンビの営業車を徹底破壊)で、収束なき紛争へと戦火が拡大されます…
この、負のエネルギーに対して負のパワーで制圧を試みるようなフラストレーションの応酬!これこそがローレル&ハーディ喜劇の真骨頂!他のコメディアンにはない陰湿で排他的で不健康な笑いです(それ故にチャップリンやキートンのごとく万人に愛されるキャラとは異なり、極端に好き嫌いが分かれるコメディアンの筆頭に挙げられるのですけど)。
この悪夢の展開はスラップスティック・コメディ(ドタバタ喜劇)の常套手段《ブチ壊し》の応用ですが、マック・セネット調のスラップスティック・コメディを範とした一発芸的ギャグの羅列ではなく、ローレル&ハーディはドラマ性を基調としたコメディとしてブチ壊す行為(視覚的ギャグ)に《その理由》を笑いの要素として加味します。つまりは動機が行為として笑いに発展するシチュエーション・コメディ(状況喜劇)の亜種なのです。ローレル&ハーディの特異な喜劇性とは、この複合的、重層的な構造の結晶(しかし見た目は単調で幼児的な衝動=悪趣味なだけのドラマ)という訳です!
それと、このコンビ喜劇は《反復》ギャグの応用が基底にありますが、手法はやはり他の喜劇人と一線を画するものです。
《反復》とは、道化師の代表的なギャグのひとつで、「工作など、何かを組み立てるも不器用で完成しない」とか「要領が悪くて同じヘマを繰り返す」といった、仕種や情況を巧みに笑いへと昇華させる、いわば個人芸であって、主にストーリーの潤滑油みたいな小技として使用されるものです。
この名手として最も有名なコメディアンはキートンで、「調理を始める」「酔い潰れたカノジョをベッドに運ぶ」「カメラの三脚を立てる」等々、《同じ動作を繰り返すだけで情況は悪化するばかり》というボケ具合で笑わせます。
↑ バスター・キートン
ところが、この《反復》ギャグをローレル&ハーディは「個人的なヘマ」=技芸として使用せず、「同じ状況を積み重ねて、フラストレーションを増幅させる」=物語に転化しました。我々はイライラ感が限界に達するまで《反復》を見せつけられますが、そのあと一気にストレス放出の《ブチ壊し》ギャグに切り替えられる趣向で、予定調和(というか破滅?カタルシス?いや、カタストロフ!)を楽しませてもらいます。
ここで先述のローレルが単独主演の頃に見せていた《一発芸的なギャグの冴え》についても言及しますと、ローレルの演技はハーディとのコンビ結成から《ある状況におけるピンポイント的なスパイス》として再構築されました。
これはローレルのパントマイムが、初期の主演作だと《唐突に面白い動作をする》だけの瞬間芸だったのですけど、コンビ作品からは《状況を表すジェスチャー》《気持ちを説明する所作》というメタ言語へと発展しました。つまり、《運動》が《情感》に変容して《物語の要点を果たす》のです。
かのキートンをして「ローレルはチャップリンよりも偉大」と言わしめた身体表現は、相方のハーディがその機能の庇護者、増幅器、あるいは間違った方向へと導くアナリストみたいな役割を演じる事で一段と威力を増し、我々観客をカオスに陥れる訳です(そしてハーディ自らが一番の被害者となるのもお約束です)。
こんなローレル&ハーディのギャグ体系がドイツでの呼称Dick und Doof(肥厚と馬鹿)、ポーランドでのFlip i Flap(馬鹿の一つ覚え)になったのでは?と思いました。
次回は、ローレル&ハーディの影響力、コンビの喜劇の系譜についてお伝えします。
※本項では正式な配給会社を通じての日本公開作品を『邦題(原題)』、喜劇映画研究会を含む自主上映やビデオ発売での便宜上のタイトルは『原題(邦題)』と表記しました。