喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
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ローレル&ハーディ伝説 ⑤~『僕たちのラストステージ』応援作戦その4


【4/19(金)公開】「僕たちのラストステージ」予告

ローレル&ハーディの影響

 スタン・ローレルとオリバー・ハーディの二人組は、誰もが認める映画界のレジェンドであって、後発の喜劇人はもちろんのこと、他業種の人々にも多大な影響を与えております。拙ブログの②でもちょっと述べましたけど、後年の映画監督や小説家で「極楽コンビ」から啓示を受けた人は数多く存在します。

http://blog.seven-chances.tokyo/entry/2019/02/24/114614

 意外な人では、ロマン・ポランスキー監督もその一人です。母国ポーランドで1958年に作った短編喜劇『Dwaj Ludzie z Szafą(タンスと二人の男)』からは、ローレル&ハーディの洗礼を受けた事がはっきりと窺えます。本作のプロットは、『The Music Box(ミュージック・ボックス)』から拝借したのが一目瞭然なのです。

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 ホモセクシャルな男二人が海の中からタンスを担いで現われ(そしてどこかへ届けるつもりらしい)、彼らの行程にはポランスキー特有の残酷趣味が溢れる無声喜劇(音楽だけでセリフなし)という趣向です。

 因みに、本作の楽曲を手掛けているのが東欧ジャズの巨星、夭折の天才ピアニストであるクシシュトフ・コメダというのもキョーレツです。また、ついでに付記すると、男二人に絡んでくる若いチンピラを、ポランスキー本人が演じております(後年の『チャイナタウン』を彷彿とさせますねぇ)。

 

 こんな珍しいポランスキー監督の旧作とは別に、皆さんは街でコックさんに扮したハーディのメニュー・ボードを見かけませんか?実はこれ、企業ロゴを経て超有名な絵本から派生したモノなんです。

 経緯から説明しますと、まずそれはアメリカの菓子店から始まります。ミズーリ州で1902年に創業のSUNSHINE BISCUITS, Inc.という焼き菓子とパンの専門店が、1950年代にロゴ・マークで《デブのコックさん》のイラストを採用します。

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 このイラストだけではオリバー・ハーディを模したのか?誰がモデルなのか?は判然としませんけど、’60年代になって販促グッズとして塩や胡椒を入れる小さな卓上ボトルが作られると、明らかに《白い調理服のハーディ》型となりました(これはコック帽の部分に穴の開いた陶器製のキャラクター・グッズで、最近でも海外の骨董オークションで散見されます)。

 同店のイメージ・キャラクターとして明確に「オリバー・ハーディ」と謳ってはいませんが、もう誰がどう見てもハーディがモデルであろう事は疑いようのないソックリぶり、次いでこのキャラを印刷したクーポン券も配られました。

(おそらく、ローレル&ハーディがやや忘れられていた時期なので、ご本人の肖像権なんぞ許諾もなく商標登録されたのでしょう!?)

   さて、このクーポン券(コック姿のハーディ数名が並ぶ)を偶然に町で手にした絵本作家のモーリス・センダックは、強い衝撃を受けたそうです。その図案にヒントを得て、1970年に絵本『まよなかのだいどころ(In the Night Kitchen)』が発表されました。

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 この絵本は、センダックがローレル&ハーディの大ファンだったと公言しているとおり、幼年期の想い出がたっぷり詰まった傑作です。発表当初は児童文学の純粋性から問題視されたようですけど、今日の視点では、本作を児童文学かどうかと問う事自体がナンセンスで、ファンタジー溢れる、れっきとした楽しい童話なので、幼い子にもオススメできます。

 因みに、日本版は神宮輝夫先生・訳、冨山房・刊で現在も販売中、小林克也氏が読み聞かせのアニメ版もヤマハ音楽振興会からリリースされておりましたけど、コチラは絶版…実は僕がこの制作に参画していたのでした!

 『まよなかのだいどころ(In the Night Kitchen)』は、ローレルを想起させる主人公の少年ミッキーが、夢の中で謎の料理が作られている台所へと導かれる話です。そこでは「仕上げはミルク!」と叫びながら踊る三人のコックが登場するのですが…もうおわかりでしょう、三人のコックとは三人のハーディ、つまりコック姿のハーディが並ぶSUNSHINE BISCUITS, Inc.のクーポン券から着想を得たキャラクターです。

 アニメ版は1980年にセンダック本人が監修の許、『トムとジェリー』の監督としても知られるユージン・メリル・ダイチによってプラハ(チェコ)で製作されました。

 このアニメ版で改めて確認できるのは、ハーディ似のコックというより、もうコック役はハーディ以外の何者でもないという事実で、登場する際にはローレル&ハーディのテーマ曲(マーヴィン・ハットレイ作の『Dance of The Cuckoos』、通称『Ku-Ku』)までがBGMで使用される凝りよう。踊りもコンビの代表作『The Music Box(ミュージック・ボックス)』からの引用で、このダンス部分だけわざわざ専任アニメーターを別に起用という、マニアックな演出ぶりです!

 さて、このように焼き菓子店のロゴから絵本(アニメ)にまで発展したコック姿のハーディですが、1992年7月27日を以ってSUNSHINE BISCUITS, Inc.の商標権は失効しました。再登記しなかったのが実情ですけど…そもそもハーディ氏から肖像権の許諾を得ていたのか?という謎もありますねぇ。

 すると、この商標権失効に目をつけたのがレストランの什器類を製造販売する業者で、かくして販促グッズとして創案された筈の《コック姿のハーディ(メニュー・ボード)》が巷に流通したのです。見るからに《美味しそうなヒミツを隠し持っている》雰囲気がありますねぇ。それがバブルも収束しつつある日本でも、イタリアン・レストランなどから全国津々浦々に波及した訳です。

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  近年では、クレイ・アニメ作家のニック・パークが、出世作『ウォレスとグルミット』は幼年期に見たローレル&ハーディからインスパイアされたと公言しています。何を隠そう、パーク監督の初来日でインタビュー撮影が行われた際、実は僕が撮影クルーの進行管理を担当しておりました故、この《マニアにとっての貴重な証言》は直接ナマで、1m以内の距離で聞きました!「ローレル&ハーディ」と名前が出た瞬間、諸手を挙げて狂喜したのは僕だけでしたが。

 

 日本では横山エンタツと花菱アチャコのコンビが影響を受けているのでは?としばしば議論されますけど、確証はありません。但し、1929年から1930年にかけてアメリカを巡り、喜劇映画をむさぼるように見ていたとの逸話がありますので、年代的に推察する限り、エンタツ・アチャコの芸風がローレル&ハーディ喜劇を参考にしていたとは考えられますね。

 

ローレル&ハーディ以降のコンビ喜劇人

 エンタツ・アチャコに限らず、ローレル&ハーディを追って世界中で続々と《ボケとツッコミ》コンビは登場します。

 最も彼らに近い存在では、生みの親であるプロデューサーのハル・ローチが同じプロダクション内で組ませた女版ローレル&ハーディこと、セルマ・トッド&ザス・ピッツが挙げられます。セルマが姐御っぽいキャラ(ハーディ型)、ザスは年上ながらもややボケ気味(ローレル型)という美女コンビで1931年に登場します。しかし、ピッツはラジオ番組のパーソナリティ兼任で人気沸騰となり、撮影スケジュールに無理が生じた事から、映画出演はパッツィ・ケリーと交代します。こうして新たにセルマ&パッツィの組み合わせが誕生、基本的にはほぼ同じキャラ設定でコンビ喜劇が作られます。但し、パッツィ・ケリーはザス・ピッツより16歳も若いので《おバカなカワイコちゃんがセルマ姐御を困惑させる》というコンセプトに軌道修正されました。この美女コンビは人気絶頂の最中、セルマの謎の死によって自然解散となってしまいます。

 

 同時期に同じく女性コンビを、アル・クリスティという喜劇プロデューサーがパラマウントから送り出して大ヒットを飛ばします。こちらは超ベテラン・コメディエンヌの組み合わせで、マリー・ドレスラー&ポリー・モランという、まるでゴジラとラドンみたいな組み合わせのオバサン同志。二人とも既に高齢期を迎えつつあったので、厚かましくドスの効いたツッコミのドレスラーと、ヒステリックながら物忘れの多いボケのモランという設定で人気を博しました。

 

 1930年代のパラマウントからは、厳密な意味ではコンビ(二人組で主演)と異なりますけど、マルクス兄弟作品より劇中コンビとしてチコ&ハーポが登場します。彼らはボケ同志の道化師コンビ(間抜けなイタリア系&不思議な唖の組み合わせ)で大人気となりますが、伝統的なサーカスやヴォードヴィルの舞台で師匠や先輩芸人から技芸を叩き込まれた訳ではなく、両親と兄弟による自主興行(つまり我流)をルーツとする点は特筆すべきでしょう。

 

 ローレル&ハーディを擁したMGMでは、バスター・キートン&ジミー・デュランテもドル箱スターとして活躍しておりました。キートンは往時のアクロバット(アクション)が会社側の契約で禁止されているため、もう視覚的なギャグは望むべくもありません。しかし、ピアニスト・歌手としてもブロードウェイで大人気のコメディアン=デュランテとのコンビは相性もよく、とぼけた味の道化師コンビとして、歌って踊ってのサービス満点喜劇を多く創出しました。

 

 1940年代に入ると、日本では「珍道中」シリーズと呼ばれる、ボブ・ホープ&ビング・クロスビーの最強コンビがパラマウントから登場します。二人ともコンビ結成以前から超人気者なうえ、特にクロスビーが歌手としても大成功を収めている事から、「珍道中」映画は第一作から桁違いのヒットを飛ばします。現代ではクロスビーが甘い歌声のポップス・シンガー、あるいはヒューマン・コメディの二枚目みたいに思われているようですが、彼を発掘し育てたのは喜劇の帝王マック・セネットです。そして、ホープはキートンの師匠格であるロスコー・アーバックルの巡業一座出身なので、もうドタバタ色が濃い作風になるのは必然、アニメとの合成など、ナンセンスな展開も多く、エンタテインメント性の豊かな傑作が生み出されました。どっちがボケで誰がツッコミという明確な分担はなく、軽妙洒脱な二人組のロードムービーという作風です。

 

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 ↑ ビング・クロスビー

 そして、1950年代になると、『僕たちのラストステージ』でローレルが不安げに見つめるポスターの「凸凹コンビ」バッド・アボット&ルー・コステロが登場します。彼らの体型からデブとヤセ、ノッポとチビの組み合わせは「凸凹コンビ」と呼ばれるようになりました。なので、日本では「極楽コンビ」よりも知名度が高くなって、しばしこれら二組が混同されるに到ります(今も凸凹と極楽が同一コンビと勘違いしている人は多いですね)。

 その理由は…

  • 戦前戦後を通じて日本では、ローレル&ハーディ作品がチャップリン、キートン、ロイドほどの人気を得られず、名前が全国的に浸透しなかった。
  • 戦後にローレル&ハーディ作品が再輸入された頃、アボット&コステロ作品も大量に輸入されていた。
  • アメリカ文化が大流行、アボット&コステロの評判が上がり、「凸凹コンビ」は二人組を示す流行語となった。
  • テレビ黎明期に、日本語吹き替え版が繰り返し放送されていた。
  • 1970年代にはハンナ・バーベラのアニメ版が放映され、当時の子供にも名前が知れ渡る。

…という訳で、後発の「凸凹」組が日本ではスタンダードとなってしまいます。

 アボット&コステロは世代的にローレル&ハーディよりひと回り下で、ヴォードヴィルの舞台でコンビを結成していたという実績もありますが、芸風はスタンダップ・コメディ(トーク主体)系統の人たちです。

 このコンビをユニバーサルがロー・ティーン向け(どちらかといえば幼児のいる家庭向け)のプログラム・ピクチャー(B級の短編娯楽映画)として売り出した事から、ファミリー層のブ厚い支持を得て、たちまち老齢期を迎えたローレル&ハーディは蹴落されてしまいます。

(ちょうど『僕たちのラストステージ』で描かれている頃です)

 ボケ役をチビデブのコステロが、ツッコミ役を痩身のアボットが担当しますが、今日改めて再見すると、ローレル&ハーディの高エネルギーと比べちゃ不謹慎…とてつもなく幼稚な演技、無芸ぶりに愕然とします。剛腕スタッフに恵まれたパントマイミストのローレル&美声の演技派ハーディの映画が、どうしてこんな凸凹ごときに打ち負かされたのでしょう? それより何より、バッド・アボットという人相が悪く没個性で存在感も希薄な役者が、なぜコメディの主役を張れたのか??? 歴史の闇ですねぇ。

 

 ローレル&ハーディ本邦初上陸の頃は、まだ日本語字幕が発明されておりません。なので、初お目見えの『極楽二人組(Pardon Us)』というトーキー作品は活弁トーキー(弁士の説明付き)上映となりました。それも絶頂期の破壊的な無声映画は未公開のまま、日本には欧米の評判すら伝わっていない状況だったので、「ローレル&ハーディとは、ちょっと愉快な初老のオジサンたち」くらいの評価しか得られませんでした(残念無念)。

 それで終戦後の1950年代にようやく再輸入された際は、「凸凹コンビ」と「底抜けコンビ」ディーン・マーティン&ジェリー・ルイスに喰われた訳です。 

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 ↑ ジェリー・ルイス 

「底抜けコンビ」マーティン&ルイスは、パラマウントが世に送り出した1950年代のスーパースターです。ツッコミ役とするにはキャラの弱い(二枚目の歌手)ディーン・マーティン、ボケ役とするにはアクが強すぎる(狂人?)ジェリー・ルイスの組み合わせで、ハチャメチャながらも歌唱が魅力のコメディが作られました。この二人は1955年頃に一度コンビ解消を決めますが、二人の大ファンを自認するマフィアの幹部に脅されて、やむを得ず再結成したという逸話もあります。1956年にドタバタをルイス、とぼけた二枚目をマーティンという分割案で、正式にコンビは解散しました。因みに、コンビからルイス単独主演までの喜劇を監督したのは、ノーマン・タウログ、ジョージ・マーシャル、ハル・ウォーカーといった、無声映画期のスラップスティック・コメディ製作に直接関わっていた猛者たちです。

 

 1960年代は、ニール・サイモンの創作によるウォルター・マッソー&ジャック・レモンの『おかしな二人』とその派生版、テレビの人気ボケ・コンビ『マックとマイヤー』ことミッキー・ディームス&ジョーイ・フェイ…’70年代は「マリファナ・ブラザース」ことチーチ・マリン&トミー・チョン(チーチは’90年代に『刑事ナッシュ・ブリッジス』でドン・ジョンソンとドタバタ中年コンビを結成して話題となる)…’80年代にはジェイク(ジョン・ベルーシ)とエルウッド(ダン・エイクロイド)の『ブルース・ブラザース』、マクフライ(マイケル・J・フォックス)とドク(クリストファー・ロイド)のコンビ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』…’90年代は…と印象に残るコンビがハリウッドから現れては消えて行きました。

 結局、ローレル&ハーディを除くと、彼らのようにコンビ歴が長く、世界中で愛され、今もなお色々なカタチで語り継がれる二人組は存在していない事に気づきました。極楽コンビには、ラストステージがなかった訳です。

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オマケ

 僕が初めてローレル&ハーディを知ったのは、日本ヘラルド配給『シネ・ブラボー!』という無声映画のベスト・アンソロジーからで、ロバート・ヤングソンが構成した『スリルと笑いの日々』の中でのシーン紹介でした。

 その後にヤングソン『喜劇の王様たち』、ルネ・クレール『喜劇の黄金時代』がテレビ放映され、改めてローレル&ハーディのギャグを知って愕然となりました。

 但し、ノーカット版で作品をちゃんと見るまでは、生意気にも「ひょっとするとクライマックスの面白い部分だけが抜粋されていて、全編を見ると実はダレるかも」と懐疑的に感じていたのです。

 それは当時のアクション映画など、テレビで新作のスゴイ場面なんかが紹介されて大興奮、無理して劇場へ駆け込んでも、実際にはテレビに出た数カットだけが見せ場でガッカリ(コリャただの詐欺じゃん)なんて経験が結構あったからです。特に僕は低年齢だったけど、脳年齢はさらに若かった事情もあって、ちょっとでもストーリーが複雑だと理解できなくなるので、最初から最後まで派手なだけの映画を好んでいたんです。

 それから約2年後、ケラリーノ・サンドロヴィッチに変身するよりずっと昔の小林君と知り合って、彼の家で初めてローレル&ハーディのノーカット作品に接しました。見せてもらったのは『Liberty(リバティ)』です。

 ここから先は未見の方にネタバレしないように書きますので、具体的な内容は割愛しますが、とにかく感激!興奮!狂喜しました。

 クライマックスはもちろんハラハラドキドキでしたけど、そこへ到るまで予測不能な展開で、「一体この人たちは何者?」ってな具合で大爆笑しました。

 ちょうどあの日はゴールデン・ウィークで、もう、あの瞬間から38年も経っちゃうんだなぁ…まさか『僕たちのラストステージ』という伝記映画でローレル&ハーディと再会できるなんて、それもまさか小林君と並んで試写を見るなんて、どっちも予測不可能な展開だった! 

(平成31年4月30日 記)