今回は「古典映画の著作権」について調べた入魂の長文なので、目次を設けてみた!
クリックすれば各項へ一直線、でも時間が許す限りは最初からジックリ読んでネ!
序章 映画の冥界 魑魅魍魎が憑くクラシック作品
~「著作権を騙る」カタルシス~
知り合いの小学校低学年のガキが、同級生の描いたドラえもん似の絵物語を見て「これはチョサクケンイハンだ! ケーサツにツーホーする!」なんて騒いでいた。通報する相手を警察と勘違いしているのはご愛嬌としても、こどもにまで著作権という事理が浸透している事には感心する。オリジナルの意匠や成果物に対して《作者の権利が法的に守られている》とガキでも一応は認知しているって事は素晴らしい。
一方では、大人なのにどうなってんじゃ?と疑問に思う事件も多々あるので、ここは僕の専門「映画」を中心に解説させて頂こう。
結論から先にいっちゃうと、大人の世界こそ法律で「著作権」がシッカリ守られている筈だけど、今もって魑魅魍魎狐狸野于の類がウジャウジャはびこって、それこそ警察沙汰の事件だって起きているのだ。とにかく実名こそ公表しないでおいてやるけど、このブログにある事例は全て実話なので、皆さんがこれから被害に遭わないための参考資料になればとも思う。
第1章 映画界の現況を考察
【映画は誰のモノ?】
まず「映画」は、企画当初から最終的な劇場公開の段階まで多くの人が関与するため、版権構造(所有権)が重層的になる。ましてや昨今は地上波や衛星放送、ケーブルTV、ネット配信、企業のイメージ・キャラ、DVDやらブルーレイなどの商品化と、二次使用とか三次使用が目的で製作に参画する者も多数いるため、より権利関係が錯綜するのだ。
特に日本の《製作委員会》という共同出資システムが「権利者は誰か」を混乱させて、ひどい場合は完成して数年も経たないうちに現物(映画)が散逸して、二度と世に出なくなるケースもある。この理由は、フィルム(最近で原版テープやDCPという上映データ)を製作委員会の中で移管しているうちに、主幹の人事異動とか離職とか、筆頭出資者(社)のM&Aとか、企画当初に想定されていないファクターも絡んで原版が行方不明になるパターン、およそ信じがたい杜撰な顛末って訳だ。
特に、出資比率の高い者に強い発言権が与えられ脚本・演出・キャストがイジリまくられた愚作、公開時に赤字を抱えていたままの作品、悪評だけで有名になっちゃった作品なんかは原版管理がイイカゲンになる。これで紛失ならば、意図的な抹殺というべきだ。
【スクリーン争奪戦と名作セレクション】
2017年末の時点で日本国内の映画館はシネコンを含めて約千館、それに対して製作本数は年間約四千ともいわれているうえ、外国映画も輸入されているので、話題にもならなければ公開すら周知されぬまま忘れ去られる新作も数多く存在する。よほど気合いの入った評論家でも、すべて追い切れないのだからトンデモナイ物量といえよう。能天気に換言すれば《日本は経済的に安定した平和な映画大国》なのだ。
でも、一日に10作品以上が完成している計算だから、製作者の立場で考えると、それすなわち作品数に比して劇場が足りないという話。
ここでイキナリ余談になるけど、20世紀初頭のアメリカは、毎週3千館単位で上映施設がオープンして、作品がまったく足りなかったそうだ。映画が発明されて間もなく、試行錯誤ながら急成長している産業だったからだけど。
そこで新たに映画ビジネスへ参入したユダヤ系移民の毛皮販売業、芸人、古着商、手袋卸などのキレ者たちが、製作者から問屋を通じてフィルムを買うより、自分で作ったものを自前の施設で上映した方が《早い》《安い》《観客の要求にも応えられ》《収益性も上がる》と考えて実行したという。この作戦は見事に功を奏して、稼いだカネで撮影スタジオを完備したり、スターや監督を育てたり、他劇場を買収して販路拡大したりと、映画ギョーカイ(すなわちハリウッド)の礎を構築した。彼ら目ざといユダヤ系移民がこの時に興した会社こそ、現在まで続くパラマウント、ユニバーサル、MGM、フォックス、ワーナー、コロンビア(現ソニー・ピクチャーズ)という訳だ。
さてさて、では現代の日本の映画産業に話を戻すけど、宣伝もバッチリの超大作、新たな産業廃棄物にしかならない愚作、往年の名画、ちょっと前のヒット作など・・・ズバリ指摘すると、限りある映画館やローカルの映画祭など《製作サイドが奪い合っている》というカンジだ。
まぁ、話題の超大作は老舗配給系の直営館で最初からスクリーンを占拠しちゃうし、興行や運営を全国的に統率するような組織もないし、興行が国家的に管理されちゃ表現の自由にも反するのだから、アート系やインディーズ系を企画する方々によって熾烈なスクリーン争奪戦となるのは仕方がない。プラス指向で考えれば、映画界が活性化している訳だし、とにかく頑張って上映するしかない。
さてそこで、今度は上映を企画する側の話だけど、劇場経営者や映画祭実行委員会などは、各々でプログラムを組み、配給会社や「映画」所有者から作品を借りて興行を成立させる。が、いくら供給過多の映画業界といえどもプログラムの企画力は集客に直接影響するので、製作者から《話題にならなかった新作》《あまりヒットしなかった作品》《スタッフの自己満足みたいな駄作》をいくら売り込まれても、興行主からすれば、よっぽど懇意の人が作った映画じゃなければわざわざ上映する義理もない。だから手堅い作品を選ぶのは当然となる。
すると大手シネコン系列と同じ話題の新作だけじゃどこも類似プログラムになるため、他館との差別化を図りつつ安定的な収益を確保しようと考える・・・そこで解決策のひとつとして・・・多くの場合《往年の名画や古典映画のリバイバル》が選ばれる!実はこれ、かなり順当な選択肢なのだ。
因みに、ここで簡単に《往年の名画や古典映画》っちゅうカテゴリーを興行主側の視点で定義してみよう。
まず、《往年の名画》とは、1950年代から1980年代くらいまでのヒット作、世界的に有名な監督の作品、エポック・メイキング的な問題作となる。『カサブランカ』『恐怖の報酬』『羅生門』『自転車泥棒』『風と共に去りぬ』『サンセット大通り』『81/2』『ベン・ハー』から『太陽がいっぱい』『俺たちに明日はない』『勝手にしやがれ』『ワイルド・バンチ』、そして『ブリキの太鼓』『バグダッド・カフェ』などが挙げられる。ジャン・ルノワール、ビリー・ワイルダー、アンジェイ・ワイダ、小津安二郎、イングマール・ベルイマン、アンドレイ・タルコフスキーといった名匠、ネオ・リアリスモ(イタリア)からニュー・シネマ(アメリカ)、ヌーベルヴァーグ(フランス)の監督を扱う場合が多いね。
《古典映画》とは、主にサイレント期から第二次大戦頃の作品で、いわゆるチャップリン・キートン・ロイドの三大喜劇王の代表作、D・W・グリフィスやカール・ドライヤー、フリッツ・ラング、斎藤寅次郎、エルンスト・ルビッチュ、F・W・ムルナウなどの監督作品だ。『月世界旅行』『カビリア』『國民の創生』『カリガリ博士』『メトロポリス』『結婚哲学』『アイアン・ホース』『大いなる幻影』から、『カサブランカ』『巴里の屋根の下』『第三の男』が挙げられる。
明確に《古典映画》《往年の名画》との区別がないけど、白黒フィルムだと《古典映画》と呼ばれる場合が多い。だからかどうかは知らないけど、アヴァンギャルドやシュールレアリスム期の『幕間』『アンダルシアの犬』から1960年代のケネス・アンガーやジョナス・メカス作品もよく《古典映画》と扱われている。これはまぁ、シュールレアリスムやアンダー・グラウンドって時代の潮流自体が現在では懐古趣味的な事象になっちゃったからだろう。尚、2001年製作の『ユリイカ』、2007年の『コントロール』、2011年の『アーティスト』みたいな白黒フィルム風の演出を古典映画と勘違いしないように!
あと、ジェネレーション・ギャップって観点で考えれば、20代の人からすると既に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だって古典映画の領域に足を突っ込んでいるし、『2001年宇宙の旅』『卒業』『イージー・ライダー』『ダーティハリー』『燃えよドラゴン』なんかは完璧なクラシックとなる。だから、とりあえずは1980年代までを《往年の名画や古典映画》と括るのが順当だろう。
こういった作品が親と子の懐かしい会話に発展して、祖父母から『ローマの休日』『カビリアの夜』『わが谷は緑なりき』『禁じられた遊び』『彼等に音楽を』『第七天國』『散り行く花』などの想い出や、チャップリン、キートンの話題へと拡がるらしい。
ではでは、この興行における《往年の名画や古典映画のリバイバル》についてだけど、僕の独善的な本項のこじつけと思われるかもしれないので、次に収益面からの考察で、需要に確固たる理由がある事をお伝えしよう。
【往年の名画・古典映画のリバイバル人気】
飽くまで興行界の一例ではあるけど、その理由は3つ。
其の一:近年の劇場デジタル化によって、ソフト販売会社と資本関係にある配給会社が流通商品と同一内容のDVDやブルーレイ(あるいは発売前のDCPデータ)を上映用に貸与するためだ。
この事情からは、かつては《映倫マークが画面に表示されたフィルムしか上映してはならない》といった常設映画館の興行規約が形骸化して、映倫マークが取得できない地元産インディーズ作品(むかしは自主映画と呼ばれていたジャンル)や小さな製作会社のビデオ番組、私設アーカイヴ(我が喜劇映画研究会、マツダ映画社、神戸映画資料館など)が所蔵する希少な古典映画が、大手配給直営館やシネコン系列でも特別企画として上映候補に挙がるようになった。こんな状況は二十年前じゃありえへん!
インディーズ映画や小規模ビデオ作品を否定する訳じゃないけど(僕も作っているので)、一般的な劇場経営者からすれば、無名の自主製作ビデオと著名な古典映画を比べちゃ、収益率・知名度・文化的な好感度でそりゃどっちを選ぶかって結論になるだろう。インディーズ作品の応援姿勢を明確に打ち出しているミニシアターもあるけど、やはりそれだけでは経営が成り立たないので、大抵は古典映画やアート系などと《対比》で企画する場合も多くなるのだ。自身が劇場主ならばある程度のヒットは絶対に保ちたいと考えるからね。
お次は顧客層から古い映画の人気を検証しよう。
其の二:ズバリ、このターゲットは1970年代までに映画で想い出を作ったナイス・ミドル層だ。ナイスなミドルだけあって経済的・時間的にも余裕のある人が多く、彼らの青春を彩る作品群は需要が極めて高い。なので、配給会社やソフト会社にとって旧作リバイバルは、目玉企画となる。しかも、映画館や商品(DVDやブルーレイ)の最新情報に関心が薄れている人々を計算に入れると、トンデモナイ潜在需要も見込める訳だ。
このナイス・ミドル層は、大抵の場合、近年の映画が軽過ぎて受容できないらしく(おそらくカメラ・アングルやカット割りのアニメっぽい高速展開が気に入らないのだろう)、特定の名匠・名優を『回顧特集』とか『傑作選の連続上映』みたいに企画すると大ウケとなる。それで、DVD・ブルーレイ販売と連動させると、BOXセットなど高額な商品もよく売れる!レンタル屋も高回転率で潤う!古典映画や往年の名画は、配給・販売会社にとって、まさに有り難いコンテンツな訳だ。
しかも、海外からの原版使用料(販売権)は新作より安い場合が大半なので、製造原価も安く抑えられ、全てにおいて相乗効果がバツグンとなる!
特に無声映画は、日本語字幕作成においては(安直に考えれば)セリフなどのスクリプトや原語台本を海外からわざわざ取り寄せる必要もない(画面に原語字幕が表示されているから)という理由で重宝されている・・・だけど、ここで僕の個人的な意見をはさむと、年代検証を怠れば勘違い翻訳や誤訳が発生するし、海外原版の伴奏曲が版権上そのまま使用できず(新たな演奏権・販売権・レーベルによる契約の都合など)日本で改めて作曲から録音までやり直すので、必ずしも簡単に上映や商品化ができないというリスクを伴う。だから、無声映画は文化遺産であるとの認識をシッカリ持って、上映や販売をして貰いたいね。
其の三:多くのナイス・ミドル層には、子が40代・孫が20代以下という、今まで古典映画(無声映画)をまったく知らずに育った世代が後ろに控えている。そもそも40代以下の人々は、生まれ時からカラーテレビやカラー写真があたり前なので、モノクロ画像が斬新に見えて、深い表現力(つまり色彩を想起する=文学的な解釈)に感銘を受けるらしい!? それで、ナイス・ミドル世代から薦められた無声映画の《失われた表現法》に新鮮味を感じて、《改めてスクリーンで見直したい》《映画館で見よう》という静かなブームが全国的に広がっているそうだ!これで帰省時や家族団欒での佳き話題になるのだというから、古典映画は家系をつなぐアイテムって訳だ!
(蛇足ながら、僕みたいに無知無教養の両親に放置されて白黒テレビで育ち、大人になってからは100年くらい前の白黒映画ばっかり見ているオッサンには、モノクロ画像なんて卑近なだけ、《新鮮味》って感覚がまるっきり理解できない。心が濁っているんだろうか…)
【無声映画の復興】
若い人たちには特に無声映画(コメディ)固有の《絶滅した技法》、すなわちパントマイムやアクロバットを主体とした国籍・言語不問の展開は、とにかく驚異に映るらしい。これは僕にとって嬉しい話だ。
さらにさらに、無声映画の静かなブームは澤登翠さん(活弁)や柳下美恵さん(伴奏)を筆頭に《無声映画を初公開時の形式で上演する》文化の継承者のひたむきな努力によって、一層の拡張傾向にあるという。
親の世代でも知らない活弁や伴奏による無声映画の迫力(ライヴ感)は、若い人が初体験するとかなりハマるようだ。
入門編としてコメディで感激した人は、やがてD・W・グリフィス、フリッツ・ラング、カール・ドライヤーなどの文芸作品に目覚める!こうして無声映画が再評価を受けているという。
ついでながら、我が喜劇映画研究会も1992年より《無声映画の再評価と普及》を目的に生演奏&パフォーマンス付き上映会を行なっているけど、澤登さんや柳下さんをオリンピックのグレコローマン・スタイルと例えるならば、我が方はストリート・ファイトかノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチみたいに見られて、どうもキワモノ扱いされちまう…一応は僕らも伝統文化の継承や古典の再興を支援しているつもりなんだけどなぁ。
と、長くなってしまったけど、ここまでが興行から古典映画ブームまでの経緯で、著作権問題を語るための予備知識と思ってもらいたい。
喜劇映画研究会のロゴマーク。一応、ヨハンという名称がある。
生演奏&パフォーマンス付き上映会のイメージで考案した。
第2章 古典映画の元凶を考察
ようやく本題となるけど、かような事情で映倫マークのない自主製作(旧作)や古典映画の再上映がなされているけど、このささやかな人気に乗じて、実体のない著作権者(ズバリ詐欺)が権益を要求してくるケースって、皆さんはご存知だろうか。スクリーン争奪戦の間隙を縫って、自称著作権者(またはその代理人を名乗る輩)が誠に要領よく、それも暗躍ではなく大手を振って表舞台にヒョイと現われるのだからタチが悪い。ふざけんじゃない!
【権利詐欺について】
先述の《製作委員会》制で作られた旧作(特に当時の責任者が不在の作品)、独立プロで製作されたドキュメンタリー(特にスタッフ解散などの理由で製作プロダクションが消滅したうえ、当事者の多くが鬼籍に入られた作品)、古典映画(主に海外の無声映画)は、ユスリを目的とした妖怪やパラサイトが付着してくるケースも多く、危険が孕んでいるのだ。このようなユスリ、タカリが目の前に現われたら、対処策として、《著作権者を名乗る者》に《権利を証明する書面》を提出させるのが最優先である。
古典映画に絞ると、監督の遺族だとか主演者の遺族だとか、著作権者と縁戚関係すらない輩まで現われるからややこしい。というより、やかましい!
ここで繰り返すけど、「映画」は様々な人の手が関与した成果物なので、作品の主要人物の遺族だからと全権利を掌握できる程度の小品じゃないのだ!
ちょっと的外れな例かもしれないけど、もし徳川幕府の埋蔵金を発見したら、即それが現在の徳川家のどの子孫の所有物となるか?発掘に到るまでの研究、工数、経費、埋蔵されていた場所の地権者、あるいはモノによって文化財保護法とかも関係する筈だし、約260年の徳川幕府でどの代が隠したか、請けた藩(その子孫)や人足(いわゆる当時のスタッフ)についての調査も絡んでくるだろう。そんな埋蔵金の事実関係を確認している状況下で、発掘直後にイキナリ「私は徳川家の末裔と親しく、全権を委任された」と名乗る奴が現われ、「だから、この埋蔵金は私に受け取る権利がある」と横槍を入れてきたら、あなたはどう判断します?
「全権を委任された」なる人物が弁護士や弁理士という職業で、法的な手続きを前提に裁判所を介して申し入れするなら、ちょっぴり理解できなくもないけど、まるっきり好事家みたいな野郎が手ブラで「代理人」と名乗ってフラっと出てきたんじゃ、そりゃ単なる詐欺だろう? こんなカンジで、古い映画には《作品と無関係》なタカリ、ユスリ、ナリスマシといった妖怪が憑くのだ。
【著作権の有効期間とパブリック・ドメイン】
映画の著作権は、国連が設立された1945年頃に「完成後50年で失効」と満了期間が定められた。日本とドイツだけは戦争当事国という扱いで、「プラス10年と4ヶ月」のペナルティ期間が加算され「完成後60年4ヶ月」となっていた(ここで個人的にズルイと言わせてもらえば、枢軸国のイタリアは終戦より2年早く連合国に降伏した事で、ペナルティが課されなかったのだ!)。
そして2004年より国連加盟国はすべて「完成・発表後70年」に改められる。その著作権有効期間の変更に先立つずっとむかし、1952年にベルヌ条約改訂と万国著作権条約制定なる小難しい条項から、パブリック・ドメイン(版権保護期間が満了した作品は公有の知的財産とする)、略してPD(以下、このように表記)という法律のようで法律ではない国際的なルールが適用された。
しかし、ハリウッドを擁するアメリカは当初から反発して、このルールに従わなかったそうで、すったもんだの末にソニー・ボノ著作権延長法(通称ミッキー・マウス法)という《著作者の死後70年間、法人が著作権者の場合は95年間か製作後120年間は権利を有する》が可決された・・・けど、結果的にこの法によって保護される対象は主にキャラクター権と商標権、つまり「ミッキー・マウスというネズミをモティーフにした画像とその名前,及び名称をデザインしたロゴ」みたいに限定的な利権だけ、完成された映像原版の著作権は適用外となった。
因みに、この法案を遵守してアメリカに媚を売ったメキシコでは「著作権満了100年」と定められた。ところがどっこい、メキシコの古典映画自体は散逸が激しくほぼ現存しないうえ、アメリカ本国で失われたロスコー・アーバックルの長編作品やキートン短編などメキシコが保有する《期限満了前のスペイン語版》はヒョイとPD扱いでヨーロッパやアジアの研究者、ソフト販売業者に提供してくれるのだ!よっぽど外貨が欲しいのだろうか。
ついでに、国連に遅れて加盟した国は「パチる行為は倫理的に悪い」との認識が薄く、文化教育も浅いため、海賊版・盗作・ニセモノの横行が甚だしい事を付記しておく。
ちょっと話が複雑になっちゃったけど、PDという国際ルールにいつの作品がどう該当するのか、その基準をコーネル大学のピーター・B・ハートル教授が区分している。通称「ハートルのチャート」で、これを参照すれば一目瞭然かもしれない(但し、作品リストではないのヨ!残念!)。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Commons:Hirtle_chart/ja
これによってほぼ世界中の映画研究者(学生を含む)が、古典映画を自由に何らかの形で扱えるようになった。でも、飽くまで古典映画のフィルムそのものを所有していなければ《自由に何らかの形で扱える》ものではないので、古い映画のTV録画や輸入ソフトを所有しているからと、勝手に上映や売り捌く事はできない。こんなのあたりまえと思うかもしれないけど、そうは問屋が卸さないじゃなく、現実に卸している奴がいるのだから呆れかえる!
それから、のちほど詳しく説明するけど、昨今のデジタル・リマスター版とは、《自由に何らかの形で扱える》古いフィルム=PD該当品を基に映画関連の会社や国営の研究機関が復元したモノであって、《PDがキレイに蘇った》ではなく《完全な新作》なのだ。だから復元された時点で新たな著作権も生まれる。それを映画そのものが古いから復元版は当然PD扱いだと誤解している輩も少なからず存在している。それで復元版を権利者に無断で上映や販売している事件もある。また、勘違いのフリで商売する悪質な奴、PDと復元版の本来の解釈を混用して詐欺を働く下衆も存在する。
以下は少しだけど、PDの代表例を挙げて状況説明しよう。
【PDの無声映画】
自分の専門が喜劇なので、ちょっと偏った紹介例となるけど、同時代の監督・俳優を選ぶ場合の参考にしてもらえればと思う。
先に要約すると、映画自体(オリジナルのフィルム、及びその複製)はPD、それを基とする新たな修復フィルムやデジタル復元された画像は作業者(復刻者・出資者・所有者)の許可なくして二次使用は不可という話なので、その事情を念頭に置いて下さい!
D・W・グリフィス作品
完全にPD。前述のとおり4Kやハイビジョンで復元された映像原版には、新規の著作権(特許権)があり、カール・デイヴィスらの楽曲には新規の著作権・演奏権・販売権が発生しているので、その放映、上映、商品化には出資者(復元者)の許諾が必要となる。
チャーリー・チャップリン作品
『殺人狂時代』(1947年のトーキー作品)までが2017年でPDとなった。但し、1942年にチャップリン自らが再編集・楽曲を付けた『犬の生活』から『サーカス』までの11作品(日本未公開の『THE BOND』を除く)と、『街の灯』から『ニューヨークの王様』までの7作品は永らくチャップリン本人が原版管理を行なっており、1973年にカリフォルニアのrbc films(ロシアのTV局やRBC琉球放送とは無関係で、現在は会社が消滅) へ権利が売却された以降も、ごく一部のコレクターを除いてプリントが出回る事もなかった故、自由に上映・販売できるチャップリン作の楽曲付きPDプリントはほぼ存在しないと考えるのが妥当。これらの作品群は、近年にデジタル復元された映像原版を新たな権利者(ロイ・エクスポート)から借りなければ、事実上の使用は不可能となっている。尚、高名な作品で個人所有の多いPDプリントでは『キッド』1921年版、『黄金狂時代』1925年版が挙げられるけど、チャップリン作の楽曲はまだ音楽の著作権が失効していないので、演奏・使用については要注意。
バスター・キートン作品
1952年にマーカス・ロウJr.が当時のMGMを介して登録した復刻版(ロウズ・コーポレーション版、俗にレイモンド・ローハーワー版と呼ばれる)と、近年にデジタル復元された映像原版を除きPD。特に『キートン将軍』『大学生』『キートンの船長/蒸気船』のユナイテッド・アーティスツ配給3作品は、初公開時から著作権更新が行なわれなかった事で1978年にはPDとなっていた。デビュー作『デブ君の女装』から最後の無声映画『結婚狂』までの約40作品がPDで、スティーブ・ニューマーク、エドワード・フィニー、エンリケ・ブッシャール、二代目松田春翠ら映画コレクターが初公開時のプリントを所有していた。これら作品群は、複製フィルムが研究者などに譲渡されたほか、今日のデジタル復元にも活用された事は有名。1990年代にポーランド、オランダ、ノルウェー、フランス、メキシコなどで発掘・デジタル復元された作品や、テッド・ターナーが修復したデジタル版は、現在のコンテンツ・ホルダー(パーク・サーカスなど)から借りなければ上映・販売は不可能。
ハロルド・ロイド作品
1974年にタイムライフが復刻した再編集版、1990年にケヴィン・ブラウンローとデヴィッド・ギルが中心となって復刻したハロルド・ロイド財団ヴァージョンは新作扱い。これらを除いてオリジナル版はPD。知ったかぶりの映画ライター嬢が「『要心無用』等は権利が切れてない」と煽り記事をウェブ上に載せて得意になっていたけど、事実は1932年のパラマウント社の経営破綻、1943年のロイド邸の倉庫火災による原版の焼失、1963年のハル・ローチ・スタジオズの一時倒産から著作権更新が行なわれず、1963年よりほぼ全作品が順次PDとなっている。
以上。改めてザックリ言えば、正規販売されているDVDやブルーレイは、勝手に二次使用しちゃダメという事。つまり例えるならば、『古事記』の著作権は失効しているからどこの誰でも引用や流用は自由、しかし講談社や河出書房新社などの現代復刻版は無許可で転用禁止みたいな論理となる。
このオリジナル版と修復された新版の関係性が充分に周知されていないところを突いて、著作権詐欺のナリスマシどもは脅してくるのだ。
『古事記』で例えるならば、「私は元明天皇の正統な子孫である」と皇室とも
お次はもっと悪辣な手口をご紹介しよう。
【PD曲解による罪咎】
海外で復元された古典映画(当初はVHSやレーザーディスク、近年はDVDやブルーレイ)を復刻者(販売元・製造元)に無許可で複製して、勝手に日本語字幕を入れて「独占販売」とか「我が社が独自に発掘」とか「幻の名作が遂に日本上陸!」なんて謳い文句で売り捌いている業者がかなり存在しているんだ。こりゃもう、盗掘品売買かパチモン転売と呼んでも差し支えなかろう。
まず、ここでの問題点は、アメリカやヨーロッパ(あるいは日本)で最初にPDのフィルムを所有している者が修正や復元を施した際、その仕上がりに対して「新作」としての新たな著作権が発生する事、そして仕上げまでの技術過程に特許権という個人(または法人)に対する利権保護が適用されるのだ。
つまり、蘇らせた古典映画はその経緯に関わる作業者(出資者)が《最新技術で苦労して復元した》新作となるので、これを無断で流用すれば、それすなわち《海賊版》という訳。いくら日本語字幕を入れたからとか、BGMを加えたからと釈明しても、それは他人のフンドシで相撲を取る覆面レスラーみたいなもんだ。日本のTV放送を録画した隣国が、勝手に改題して現地の言葉で吹き替え版や字幕版を作って、正規商品として流通させて問題になった事件もあったけど、これと同じ単なる屁理屈だ。
これは《版権保護期間が満了した作品は公有の知的財産とする》PDを曲解した典型で、《古典作品ならば入手ソースや手段を問わずにいかなる再利用も許される》というデタラメな解釈である・・・けど、意外と法律家まで勘違いしている場合も多いから困っちゃう。
そんな認識の薄いところを巧みに利用するのが《著作権者を名乗る者》《製作関係者の代理人》《当事者の遺族代表》なる詐欺師で、奴らは著作権の不明瞭な部分(主に追跡調査が困難な海外の古い作品)を上手に利用してくる。
売名行為で「私は●●のエージェント」と名乗るだけならまだしも、大抵は《現在の権利者》として脅し、不安を煽って利益を要求する。なので、先述の通り、とにかく《著作権者を名乗る者》には《権利を証明する書面》を提出させるのが必須!
特に近年はグローバルな契約社会となっているのだから、海を挟んだ相手と口約束だけで《権利を証明する書面は存在しない》なんてトチ狂った条件はゼッタイあり得ない!だから《著作権者を名乗る者》には正式な契約書を提示させよう。
ついでに笑い話にしかならないけど、実際に海外作品でこんな《著作権者を名乗る》日本人が放った屁理屈のひとつを紹介する。当人による《権利を証明する書面は存在しない》理由は、《自分は遺族や製作関係者の信認度が高く、必要書類がなくとも紳士協定として著作権管理の代行が成立している》からだそうだ。
その遺族とか製作関係者って人々は、近所に永く住んでいた訳でもない外国人をかくも安直に信用するってか? そもそも過酷で陰険な映画界を今までどうやって生き延びてきたんだ? それを先に答えて貰いたい! 詐欺師はマジメな顔でこう公言するから、肝っ玉だけはスゲーと褒めてやろう。
最後に、これまで経験した闘いを、恥ずかしいけど事例としてお伝えするので、似たようなトラブルに遭った場合のご参考にして下さい。運悪く同様の被害を被った時は、とにかく冷静な対処を心掛けましょう。
【詐欺との抗争史】
其の一 謎の代理人
1987年、アメリカより「レイモンド・ローハーワーの代理人で、バスター・キートンに関する全権を管理している」という人物から、我が喜劇映画研究会に対して当時のドル円レートで1億円くらいの損害賠償、所蔵フィルムの廃棄(または引き渡し)が告げられた!これにはビックリ仰天!
レイモンド・ローハーワーとは、映画館を所有する弁護士で、古典映画の熱烈なファンだった事から、1952年に旧キートン邸の倉庫より大量のネガが発見された際に私財を投じて復元をサポートした人物だ。それで「世界中で200件以上の裁判を闘い抜いて、キートン作品の全権利を獲得した」と自称していたけど、ローハーワーが復刻した作品は長編8本と短編13本だけ、実際の裁判件数もどのくらいか不明なうえ、どこで誰に勝訴したとか噂すらも聞いた事がない。しかもこの連絡が届いた当時は、既にローハーワー氏が故人であった。
この通達とほぼ同じ頃に、日本でも「バスター・キートンという名称、及び『海底王キートン』等の題名を全て商標登録している」という人物から「論文も含め、一切の無断記載を禁ず」「貴会のフィルム所有と上映活動は違法である」「訴訟を準備中」と脅しがあった!
(この日本側の人物は、我が喜劇映画研究会に限らず、自主上映団体、映画関係の授業を行なっている学校、放送局、出版社にも同様の警告を発していた!パラノイアか?)
通達のタイミングからして日米両者が結託しているのは明白なので、とりあえずアメリカ側へ「ローハーワー氏の権利とはどういうものか、明確に示せ」「PD作品の権利処理を説明せよ」「ローハーワー氏が復刻に絡んでいない(1987年当時は現存しないとされていた喜劇映画研究会所蔵の)作品も権利を所有するという根拠は?」「フィルム所持が違法という意味は?」「バスター・キートンという商標権保有の証明書を明示せよ」と質問状を郵便とFAXで送ったところ、いつまで経ってもさっぱり返答がない……しばらくすると、僕が行く先々で「喜劇映画研究会さんだけがキートン作品の上映を容認されているそうで」とお褒めに与かるではないか!? そんな嬉しい噂が本当なら、何で最初に僕が存じ上げておりませんのよ? 因みに、脅迫まがいの通達を受けたとか、コチラから質問状を送ったとかの経緯は、僕と当時の喜研会メンバー、そしてケラリーノ・サンドロヴィッチしか知らない筈だった。
この話には続編があって、1989年に僕が某・超大手レーベル(日本の音楽出版社)から世界的に有名なアメリカ在住の絵本作家による《絵本アニメ》の日本語版制作を請けた際、またまた同じアメリカ人が「作者の代理人」と称してレーベルを脅してきたのだ!
この時は、国際的に著名な詩人が絵本作家と懇意で、直接フィルムを譲り受けているうえ、日本語の翻訳権も大手出版社が作家と契約済み、おまけにこの超エライ詩人が絵本作家に任されて翻訳(アニメの日本語監修も)していたので、すかさず先述のキートン質問状と似た内容にこの詩人との関係も加え、改めて「作者の代理人」へと質問状を送ったところ、やはり前回同様……。
尚、関係ない話だけど、この超エライ詩人の息子さんが、偶然にも3年後に喜劇映画研究会の「生演奏&パフォーマンス付き上映会」の首謀者となった。
其の二 イカサマ人生
2011年、ある著名な海外コメディアンの研究家として専門書も多く執筆し、自他共に「日本での大家」と称する男が、あるイベントで大きな被害をもたらした!
この男の名刺には某コメディアンの日本総代理人と刷り込んで、あたかもコメディアン本人と懇意であるかのごとき法人名まで記載してあった。それで全作品の著作権、商標権、キャラクター権、作品の原版を保有していると謳い、芸能人など多彩なゲストを招いてのイベント開催を大言壮語していた。
このイベントは高額のチケットがすぐに完売となる盛況ぶりながら、本番日が近づくにつれて《上映作品が劇場へ納品されない》《舞台で上映するアトラクション番組がいつまで経っても製作できない》《予定していた「本国関係者の参加」が事情説明もなく中止》といった事態が頻発、揚げ句にこの「総代理人」とも連絡が取れなくなった!
(その理由から、イベントとはまるっきり無関係の喜劇映画研究会が事態収拾を任され、極秘で協力参加となった。しかもノーギャラで!)
実はこの「総代理人」、以前から放送局・出版社・ソフト販売会社などに監修、資料提供(写真レンタル)、商標(コメディアンの名前)使用について多額の費用を要求していたけど、当人の言動には矛盾が多く整合性が認められないとは噂されていたのだ・・・そのため、日本版DVDを製造するにあたり不審に思ったハリウッド・メジャー映画会社の部長が、2008年にカリフォルニアのヘッド・オフィス法務部を通じて某コメディアン本国の原版管理者へ「総代理人」を照会したところ、まったくの無関係と判明(というより、ほとんど「Who is he ?」だったという)。
また、この「日本総代理」を標榜する組織も法人登記・商標登録はされておらず、実質的にはこの男が勝手に独りで名乗っているだけのハッタリだった。《デカイ嘘ほどバレにくい》とは本当の話と痛感したなぁ。
コイツの手口のひとつには、ネット上で複数のアカウントやハンドルネームを使い、SNSや検索サイトにて自作自演で己の活動を評価したり、非難する者を総攻撃したり等が挙げられる。こんな調子で言動は虚言と誇大妄想に塗り固められているのだけど、最も信じられないのは、この男が出生地や本名、家族構成も詐称している事だ……ひょっとすると、外宇宙からの侵略者かもしれない!
其の三 動画凍結事件
2012年、喜劇映画研究会が動画サイトに載せたチャップリン作品に対し、マレーシアとイギリスの合弁企業の社長から「貴会のコンテンツは我が社のモノを不正使用している」みたいな通達があった!
気が狂っているとしか思えないのは、「権利侵害」「違法流出」との警告より先に、一方的な動画サイトの凍結がなされてしまった事だ。
(因みに、同時に動画サイトへ載せている《世界的に有名な詩人が語るチャップリン作品》映像は権利侵害とか騒がれず、そのまま黙認されていた)
この企業を調べると、確かにグローバルで大規模なライツ・ビジネスを展開しているけど、自前のコンテンツがなく、全て買い受け(つまり仲介)じゃないか! それで僕は怒るより先に失望して、「我が社のモノを・・・」とか騒いでいるコチラの動画が「グローバル企業の系列スタジオで復刻した事を知っているのか?」「日本の地方公共団体が出資者だと知っての狼藉か?」、ついでに「作曲・演奏している人物が世界的に有名な《邦楽の宗家》だと認識したうえで権利を主張しているのか?」「当該サイトの撮影者がEU加盟国から認定登録されている報道カメラマンだけど文句あっか?」「オレと交戦するつもりか?」等々……いくつかの文言はジョーク混じりだけど、PDの解釈と併せて英文で仔細な質問を送りつけた。
すると数日後、まず返答より先に動画サイトが解凍され、追って「我々のコンテンツは同じソースかもしれない」という意味不明の言い訳に始まり、「貴殿とは良好な関係が築けそうなので、所蔵するコンテンツのカタログがあれば送って下さい」と間抜けなメールが届いた。僕からはそれっきり返信してないので、今も彼らとは良好な関係を築いていない。
其の四 弁護士との対決
我が喜劇映画研究会の製作物が無断で販売された!
先方の弁護士(一応は米国の大学院まで卒業、コーポレート・ガヴァナンスと知的財産権を専門と謳い、著書まで刊行している)が、アッサリと拙会のフィルムによる復元(特許権、新作としての著作権、ついでに字幕や音楽の著作権)を「PDだから関係ない」「権利が失効している映画なので、オタクがとやかく申し立てる事案じゃない」「翻訳字幕に著作権は存在しない」みたいな反論をしてきた!なので、ちょいと法務省や文化庁の方々の垂訓を伝え、改めてPDについての解釈と我々の戦闘準備を示したところ、絶叫……詳しくは書けないけど無事に解決した。
其の五 インターナショナルな虚言癖
某コメディアン、及び海外版権者のエージェントを名乗る人物が、我が喜劇映画研究会と古典映画関連の事業者を脅迫してきた!
コイツの手口は、初めに「●●(企画対象など)をリスペクトしているので無償でも構わないから作業に参画させて下さい」みたいな言い分で、どこから嗅ぎつけてきたか面識もない事業関係者へ接触してくる。そして担当者へ必要以上に馴れ馴れしい態度で迫り、頃合いを見計らって豹変してPDと新作(復刻された古典映画の新たな著作権・放映権・販売権)を混用のデッチアゲで、あたかも作業中の全てが権利侵害だと不安を煽るのだ。担当者が怯むとすかさず自分の管理下に《著作権》が置かれているような言動で、多額の監修費・仲介料を要求する。状況によっては、いきなり作品の版権・肖像権・商標権・キャラクター権は自分が所有していると恫喝するらしい(仲介者というスタンスとは矛盾する要求だ)。
被害に遭った関係者が詳しく調べたところ、この人物が「仲介する」という権利元は架空だったり、当人と特別な親交もない《単なる上映素材レンタル業者》だったり等、一般には追跡しづらい外国の名称を巧みに悪用するレトリックであった。それに加えて、海外で著名人と並んで写真を撮ったり、あたかも親しいように見せかけるという自己防衛の手口もある。この交友関係っぽい《状況証拠》は、必要に応じて《著名人の名前や威光を騙る脅迫》《架空の経歴》《事件のすり替え》などを捏造する際にも用いられ、より相手側の出方を探る(自分を優位に見せる)アイテムとなるのだ。
かように狡猾ながらも、言動に矛盾が多いので、そこにツッコミを入れると《怒鳴り散らしてその場を逃げ去る》とか《音信不通》になるから、とにかく訳がわからない。
また、この人物はメールを含む書面は証拠に残ると警戒しているようで、一切の《脅し》が口頭のみ。しかも、これだけ大掛かりな「エージェント業」「著作権管理者」を名乗っておきながら、自分の会社(?)の所在地はゼッタイに公表しないのだ。そんな調子で、取り引きするために海外事業者(版権者)の連絡先や契約方法を問い合わせるとか、契約が証明できる書面の提示を求めると、大抵の場合は激高して「僕を信用しないなら、どうなっても知りませんよ」との捨て台詞で一層の不安を煽るのを常套手段とする。そして、SNS等で複数アカウントを駆使した自作自演の《被害報告》《攻撃》が展開されるのだ。
我々と懇意の弁護士に確認したところ、既に多額の金銭が授受され、状況証拠や証言者も充分に揃っているので、詐欺罪・信用毀損罪・業務妨害罪・脅迫罪は確実に立証できる、いつでも刑事告訴可能との事。当人がこれを読んで、また我々に挑んでくるつもりなら「どうなっても知りませんよ」だ。その際には渡航禁止のオマケも付いちゃうそうだから「どこにも逃げられませんよ」。
其の六 病的詐欺
ドキュメンタリー映画会社の元プロデューサーによる詐欺!
この人物の手口は、会社在籍時より無断で同社名の銀行口座を別に開設し、全国の学校・公共機関・自主上映団体へ積極的な営業をかけて、作品販売やレンタル業務を展開、その売り上げを着服するものであった。
証拠隠滅のため、フィルムやビデオは作業担当の現像所から購入者へ直送させ、現像費やビデオ作成費は「会社が潰れそうで今月は払えない」との理由で支払わず、催促に対しては業者側の担当者が若い場合だと社外での面会を要求し、恫喝する(踏み倒す)のが常套手段であった。
(直送させたフィルム等が不良品だったと虚偽のクレームをつけ、再作業ののちに別場所へ発送させる=支出ナシで他所でも収益を上げるという《掠め取り》も行われていた)
やがてこの会社は倒産するが、巡り巡ってたまたま僕が原版移管と債務処理を行なう事になった時、同社の古参スタッフだった老人が好意で《着服事件が原因で倒産した事実》《その後の顛末》や、裁判書類(FAXや手紙のコピーも含む)と併せて内情の全てを伝えてくれた!
その資料によると、元プロデューサーは、判明しただけでも製作費(協力者への借金も含む)よりはるか多い金額を着服していた。
裁判所の仲裁により、元プロデューサーは《分割返済=毎月一定額を債権者名義の新しい口座へ振り込む》《完済するまで、あるいは債権者が全員一致で免罪を認めるまで支払い続ける》《二度と社名・作品名・作品における肩書きを名乗らない》《当人の今後の活動については同社と無関係である事を明示する》という条件で示談となったけど、最初の支払い時にアッサリ行方をくらましてしまった。
とりあえず僕は債権者の許諾を得て、正規の原版保管者(国立の某所)へ裁判書類や記録文書と一緒にフィルムを渡したけど、元プロデューサーは今もローカルな映画祭や大学で《現役時代の肩書き》を誇示して、《往時の活躍》を披露している。平然とコンペの審査員までやっていた事も。しかし、バレかけるとどこかへ消えるので、この事件自体は風化しつつある。
尚、2009年に、同様の手口で売り上げを着服していたアニメ会社の社員がいたので、あやうく騙されかけた納品先に僕が情報提供して摘発となった。その悪徳社員は解雇されたらしい。
其の七 デジタル・リマスターは魔法の言葉
ついでの話だけど、古典映画の復元で「デジタル・リマスター」という言葉がよく使われている。
この単語には一切の法的規制や倫理規定がなく、《いかなる工程を経た場合にのみ適用される》という工業規格もルールもない。ズバリ「単なるキャッチコピー」といわれても仕方がないのだ…。だから、低劣なソフト販売会社やインディーズ系の零細配給会社は、映画フィルムをDVD信号(Mpeg2)に変換しただけで、何ら補正や修復も施さず「デジタル・リマスター版」と謳っている!
怪しいメーカー製では、VHSソフト時代のビデオテープ原版(D2やβカム)をDVD信号にしたモノも「デジタル・リマスター版」と称している。だから無名メーカー製の廉価な《復元版DVD》を買って「画質が汚いから騙された!」と怒っても、これは単語の解釈には間違いないのだ(癪だけど)。こんな時は忍耐を要するけど「貴重な作品が見れてアタリ!」とプラス思考に切り替えるしかなかろう。
其の八 パクリ天国
もうひとつオマケ、古典映画とは直接関係ないけど、我が喜劇映画研究会では生演奏&パフォーマンス付き上映会を行なう際に、「過去(古典映画)と現在(ライヴ)との融合」というキャッチコピーを使って、《伴奏ではない音楽家のグルーヴ感》を最優先に、無声映画に即興で楽曲を合わせている。
この展開がストリート・ファイトかノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチみたいなキワモノに見られる事もあるんだけど、2001年に超メジャーな映画祭で我がキャッチコピーと企画意図が完全にパクられた。しかも確信犯的なのは、我々のイベント参加ミュージシャンからリーダーを抜いた状態のバンド編成!そのため、演奏者は僕が進行責任者だと勘違いして「練習用の映像が届いてない」「当日のスケジュールを聞いてない」と問い合わせてくる始末、これには呆れるよりも笑うしかなかった。
また、我が会のイベントは『谷川賢作とSonorizzano』というバンド(ユニット)がメインで活動しているんだけど、この名称を「自分が考えた」と吹聴する公共機関の学芸員も現われた。Sonorizzanoとは、イタリア語で映像に音楽や効果音を付ける三人称複数形だけど、バンド名にしたのは僕であって、公僕のアンタじゃない。喜劇映画研究会や谷川氏と以前から付き合いもない者が何で命名できるのか、怪奇現象としか思えない。
あと、「喜劇映画研究会のメンバー」「代表の新野敏也」「ケラリーノ・サンドロヴィッチの親友で映画関係のイベントを主宰」と名乗る奴も多いようで、世の中には未解明のフシギな事件があるのも心得ておこう。
以上、最後までお付き合い下さいまして誠に有り難うございます。僕はとにかく古い映画が卑劣な輩の商売道具にされるのだけが許せない!先人たちの創造物を敬え!という気持ちから長々と書いてしまった次第。拙ブログが善良な映画を愛する方々の《文化と伝統を守る》気概の一助となれば嬉しいです。
商標権など正式に登録したなら証明書がある筈!
日本もアメリカも特許庁の認可となる。