今日ではサイレント、トーキーという映画史の大きな転換期を知る人も多く、DVDやブルーレイで手軽に古典映画は鑑賞できる。しかし、1972年に東和(現・東宝東和)が『ビバ!チャップリン』シリーズとして『モダン・タイムス』をリバイバル公開するまでは、世間一般に無声映画は存在までもが忘れられていた。というより、時代背景から抹消されていたのかもしれない。
映画評論家や研究者、あるいは東銀座にあった16mmフィルムのレンタル業者やマツダ映画社『無声映画鑑賞会』を利用する人は、真摯に無声映画や歴史と向き合っていたけど、昭和40年代では大半の日本人が無声映画を「何ソレ?」「時代遅れの残骸」と忌み嫌っていた、いや無視していたようだ。
それは1970年前半までの高度成長期、大量消費こそ資本主義国家の美徳だとみんなが妄動していたフシもあり、テレビもカラーこそ必需品とメーカーが喧伝していたもんだから、放送局側も白黒の再放送なんて自粛するような不文律があった。そんなこんなで白黒の古い映画なんてモノは、商品価値がゼロ(放映にスポンサーがつかない)、白黒ブラウン管というテクノロジー自体も、町の小さなラーメン屋とか蕎麦屋の片隅で見かけるくらいの絶滅危惧種になりつつあった。
また同じ頃、映画界ではセルロイド製の古い可燃性フィルムをアセテート製の不燃性フィルムに変換する(これは消防法で定められた事にも起因する)作業で製作会社や配給会社はてんてこ舞いとなっていたから、必然的に無声映画なんてものは「太古に役目を終えたお荷物」としか考えられていなかった。
僕はそんな時代に生まれているので、当然ながら「無声映画」なんてまるっきり知らなかった。だから、幼少期に劇場で初めて『モダン・タイムス』を見た時は、とにかくビックリした!但し、僕はアタマの悪いガキだったから、パントマイムとかペーソスなんて高尚な領域にはまるっきり踏み込めず、ただ「セリフのない展開」という事実にだけ驚愕していたのだ。
そもそもナゼ、チャップリンに興味を持ったのか?それはかなり最近になって判明した(やはりアタマが悪い!)。