喜劇映画研究会代表・新野敏也による ドタバタ喜劇を地で行くような体験記♪
作品の感想は語れず 衒学的な論評もできない「コメディ」によって破綻した実生活を暴露する!?
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第六話 キートン襲来

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「ハロー!キートン」シリーズのプレスシート!まさか途中で打ち切られるとは・・・

 

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リバイバル公開時のチラシ!裏面のレイアウトがオシャレ♪


 チャップリンの『街の灯』から古典映画の熱が引かないうちに、初キートンを迎えるため、再びヒステリカルな母親と銀座(有楽町)へ向かった。これもロードショー初日だった。

 

 場所は現在のマリオン向かいに位置する、ニュー東宝シネマ2という劇場(後年にTOHOシネマズ有楽座と改称、2015年にビル老朽化のため解体)だった。

 当時の記録によれば、1973年6月16日の土曜日となる。確か、学校から帰って昼ゴハンを喰いながらテレビを見ていたら、ミッキー安川や泉アキが『セブン・チャンス』の紹介を始めたように記憶する。端正な顔のキートンという俳優がチャップリンみたいなボケを演じるものと勝手な想像をしていたところ、良い意味で強烈に裏切られたのだ。崖を空中回転しながら落ちていく!それも礼服を着ている!それでまた走る走る!

 この場面を一緒に見ていた両親もひたすら感心していたので、今から映画館へ行きたいと騒いでも、チャップリンの時みたいに「白黒映画だからつまらない」なんて言葉はなく、「急いで着替えなさい!」だった。

 

 ニュー東宝シネマ2に到着すると、劇場がビルの地下にあるため、『街の灯』の時のような大行列こそ見当たらない(階段を降りたらトンデモナイ事になっていた)。最近になってネット検索したら客席数が約400と書かれていたけど、100席未満の小劇場・・・と思えるほど超満員で、ロビーと場内を仕切る扉も閉められない状態になって、ギュウギュウの人たちが外側からスクリーンを覗き込んでいた!まるで大都会のラッシュ時の通勤電車だ!

 チャップリンと明らかに客層が違い、大学生くらいの人たちが溢れていて、劇場内が熱気で渦を巻いていた。そこで貧相なチビガキの僕が途方に暮れていると、お兄さんやお姉さんが足元の隙間からどんどん前に押し込んでくれて、何とか脇の通路まで辿り着いた(母親はどこへ行ったかわからない)。

 

 そして映画の途中から初対面となるキートン、どのシーンからだったか既に覚えてないけど、とにかく「これだ!」「これこそがオレの求めていた映画だ!」と大感激した。キートンの身体能力とナンセンスな展開には、オツムの弱い僕でも心底感服して、瞬間でキートンの虜になった。

 

 『ハロー!キートン』シリーズは連続上映を謳い、6月に『セブン・チャンス』、7月に『海底王キートン』、8月に『キートンの蒸気船』と続くが、ここで一区切りとなった。そして、同年12月に『探偵学入門』が公開されるまでの間に、テレビでは無声映画期のコメディ特番がいくつか放送され、淀川長治先生を筆頭に大正期の活況を知る映画評論家、立川談志師匠や欽ちゃんがその魅力を熱く語るもんだから、僕の妄想はビッグバン状態になっていく。それでマック・セネットという人物を中心に、まだまだ未知の強豪(?)が多数存在していた事を知らされたのだ。

 さらにこの頃、ゲスト・コメンテーター(?)で番組に登場した二代目松田春翠氏による想い出話から、初めて「無聲映畫」の時代、「活動寫眞辯士」という職業があった事を馬鹿ガキの僕は知った(ようやく!?)。

 因みに、当時は同級生の間でも洋画ファンが多く、休み時間は映画の話で盛り上がっていたのだけど、男子はブルース・リー、スティーブ・マックィーン、ロバート・レッドフォード、女子はオリビア・ハッセー、トレイシー・ハイド、ジュリー・アンドリュースなどを信奉していたので、無声映画への偏愛を語る物好きは、よほど博学のインテリか、謎のキチガイ星人か、そのどちらか一方にしか見られないのが常だった。僕は劣等生なので当然ながら後者、それも別格のマイノリティに分類されていた。

 それでもめげず、無声映画期のコメディアンとの出逢いを渇望して、雑誌の2ページくらいしかない記事など、薄っぺらな情報を何度も何度も眺め続けていた。