『ビバ!チャップリン』『ハロー!キートン』がシリーズと銘打っておきながら、かなりの不定期公開となってモヤモヤしていたところ、遂に最大のインパクトが僕を襲った!
1974年の暮れ、僕がキートン上映の聖地と崇める有楽町のニュー東宝シネマ2にて、『シネ・ブラボー!』という無声映画のベスト・アンソロジーが日本ヘラルドの配給によって公開され、悲願の「未知の強豪たち」、すなわちマック・セネット、メーベル・ノーマンド、ベン・ターピン、ロスコー・アーバックル、スナッブ・ポラード、ローレル&ハーディ、チャーリー・チェイスとの出逢いが実った。
何よりも、キートン一辺倒でアクロバットとナンセンスに心酔していた、オツムのデータ容量が小さい馬鹿ガキにとって、「未知の強豪たち」が演じるギャグは衝撃以上に刺激が強い!
そして年が明けるとすぐにキネマ旬報社より『世界の映画作家26冬の号/バスター・キートンと喜劇の黄金時代』が発売され、いよいよ無声映画期のコメディの全貌が明かされた(つもりであった)。全貌といっても、それは無知蒙昧で視野狭窄の馬鹿ガキにとっての世界観であり、この本に書かれていることがすべてでしかなかった訳だけど・・・
奥付に書かれた参考文献、児玉数夫先生の『無声喜劇映画史』『活動狂時代』は既に絶版で、近所の本屋や洗足池図書館(弩ローカル!)では見られない。神田の古書店街や国立国会図書館なんて高尚な世界を知らないし、コメディ専門の洋書の存在も知らない(原語だから読めないのは当然だけど)、いずれもチョイ読みすら夢のまた夢と諦念していた非文化圏の未開人だったので、キネマ旬報社の『世界の映画作家26冬の号/バスター・キートンと喜劇の黄金時代』は唯一の聖典、神への信仰を授かったカンジだった。
テレビでは散発的にロバート・ヤングソン監督の『喜劇の王様たち』(ナレーションは有島一郎)、ルネ・クレール監督の『喜劇の黄金時代』(ナレーションは鈴木千秋か小沢昭一?)、そして『テケテケおじさん』の日本版再編集であろう特番(ナレーションは渥美清)が昼間や深夜にイキナリ放送されて、すっかり無声映画の喜劇にハマってしまって、もう抜け出せなくなっていた。
そして、この時期になって初めて(というか、ようやく!)スラップスティック・コメディというワードを知った。無知な自分にとって重要な言葉の大発見だったけど、スラップスティックのコメディアンたちの献身的な演技、卓抜したギャグの発想、身体能力、エネルギーがとにかく鮮烈で、寝ても醒めてもスラップスティックにうなされる状態が続く。
こうなると、『世界の映画作家26冬の号/バスター・キートンと喜劇の黄金時代』に書かれていないコメディアンたちが『喜劇の王様たち』や『喜劇の黄金時代』に登場していたけど、彼らは一体何者か?まだまだ「未知の強豪」が存在していたのか??彼らの活躍した1920年代とはどんな時代だったのか???さらに、ハル・ローチとハロルド・ロイドという人物が、マック・セネット中心のスラップスティックを脅かす存在だったと簡略に文字だけで紹介されているけど????と、マニア度は沸点に達する・・・
それでもう、無声映画のコメディについては自分で詳しく調べて、自分が納得できる(もし同じ趣味の人と会えたら、情報を共有できる)資料を独自に作るしかないと考えた。だけど、これまでの情況を明かしたとおり、僕は単なる馬鹿ガキであって、外の世界をまるっきり知らない。教養も知識もない。そんな阿呆がとりあえず作りかけたのが、偶然に入手した雑誌の写真やら、大沢商会から発売されたチャップリン短編8mmフィルムなどの広告を切り貼りした『新野敏也の喜劇入門』であった(改めて見ると懐かしいだけで、稚拙とか無能という言葉でも足りない劣悪さ!)。
でも、この発想が数年後に喜劇映画研究会へ入り、『サイレント・コメディ全史』『喜劇映画を発明した男~帝王マック・セネット、自らを語る』発刊へとつながるのだから、いくら馬鹿でもチョッピリ同じ趣味の人に貢献できたのではないかな!?
『ビバ!チャップリン』で古い映画の扉を開け、4年かけてようやくスラップスティック・コメディが無声映画のすべてだと勘違いで納得していた馬鹿ガキの前に、今度はハル・ローチとハロルド・ロイドが現われた。そのショックは、馬鹿ガキの一生を変えてしまう。